あなたならどんな決意でのぞみますか?金運がアップするお参り方法

shutterstock_252533968『金運アップは財運革命』

お金にまつわるエトセトラ

1.お金と神の話

日本人というのは特定の宗教に心頭することがあまりないといいますが、

それがイベント性色に変わった瞬間、しっかりとそれに染まると言うことが性質のようです。

新年を祝う正月。旧年は仏事で108の煩悩を開放し、新年は神を向かいいれる。

それからはまた神事で節句を祝い告げ、仏事で盆を、亡き霊への礼としてあがめる行事に発展させる。

もちろん、バレンタインやハロウィン、クリスマスといったキリスト教的イベントに帰依するものもある。

何でも御座れが日本なのです。

そもそも、八百万の神が日本にいるとされていますが、具体的に800万と言う数はどうでしょう?

一クラス30人の生徒の面倒をみる先生がいるとします。そいいう計算でいくならば、

一人につき16人の生徒を先生が面倒を見ることになる。

約1億3千人の人口ですから神様一人で16人をみちゃう!

なんともありがたい考え方です。

今日から進路指導をしますといわれれば16日間もあればたっぷり情報やアドバイスをしてくれて終わる。

でもキリストや仏教でしたら個人面談をしようとしたら一体何日間またされるのか?

ですから、神にもゆとりがあるのでもう一人くらい神様が増えたぐらいでは文句等いうわけもありません。

人:「バレンタインを祝いたいけど日本の神様じゃないんだよね?」

担当神:「キリストさんか?いいよいいよそんなこと、あなたがしあわせになるならば、相手も幸せにできるなばどんどんやりなさい」

そんな都合のいい神さまへどうかお金が回るようにしてくださいとお願いしたとしたらどうでしょう。

2.神にはお願いをしに行くのではなく決意の報告をしていくものです。

私はこうしたいのでどうかこうしてくださいと許しを請う。

もちろん、快く引き受けてくれるのが神です。応援してくれるといったほうがいいでしょう。

神様はその人自身が幸せになることそしてその人の行いで皆も幸せになることを望むと言います。

しかし、その人だけが喜ぶと言うことには力を貸してはくれないといいます。

それ以前で、幸せになる道は応援の一環として教えてくれますが(気づかせてくれますが)

幸せそのものを目の前においてはくれません。

「お腹がすいた、ひもじいよぉ、食べられたら幸せになるからどうかお願い」といっても目の前に食事は出てきません。

食事をしたいのにお金も無いのだから途方に暮れるばかりです

そうしたとき、祈りをすれば、何かが見えてくるというそうです。

「このままじゃ死んでしまう。何とかしなければ。これは生きていくチャンスなのだから」

と自分で考える方向性を見せた時に神が降りるというのです。

するとその人は、ふらふら歩いていって大勢の人が食事をして楽しんでいる店の前を通りかかる。

そして勝手口に行き戦場と化している厨房の様子をみて、こう思わず口にするのです。

「大繁盛で外にまで宴会の楽しい笑い声が聞こえる店、おそらく料理もおいしくサービスもとてもいいからこそ皆さんがやってくるとお見受けしました」

「見ればさすがに繁盛店。厨房は汗を噴出しぬぐうのでさえままならないような忙しさ」

「次から次へ食事を提供するスタッフはめまぐるしく走り回り、その手には行きと帰りのお皿の数が同じくらいの量が載っていましたね」

「暇な店ならば冗談や暇で愚痴をこぼすようなこともあると聞きますが、そんなコトとは無縁なこの店」

「流しでは洗い残しも許されないくらい一枚一枚丁寧に洗う。割ること等もってのほか。理由はその皿の貴重さが次のお客様への料理のバトンになっているからではないですか?」

「きっと忙しい時にせめてその時だけやってくれる人がいるならば、そうお思いでしたならば、皿洗いでも、ゴミ捨てでもなんでも手伝います。」

「手伝わさせてください。お金等滅相も御座いません。」

「ただひもじいばかりの身ですので、せめて今晩の食事だけ食べさせ下さるのならば全力でお手伝いさせていただきたいと思います」

幸せになる道筋です。自分も助かり、店も助かる!

反対がこちらです。

「この賽銭箱を開ければ金が入ってるから飯が食えるぞ」

これでは自分だけが良いと言うことです。

当然許されることはありません。

見ず知らずの家にピンポンとドアをたたいて、ただ「ご飯をください」といったところで相手にもしてくれません。

怪しい人がいるといって通報されるのが関の山です。

神社の前で「どうしてあなたは私に食事させることをゆるさないのですか?食べてはいけないと言うのですか?」

と嘆いていてもひもじい思いが増すだけでやがて天に連れて行かれてしまうだけです。

前者は神の前で気づきをもらうチャンスを得た。祈ったというより決意にも似たものですね。

後者は依存です。それでは神も困るだけです。

16人のうち依存ばかりしている生徒には次に気づいてくれるであろう時期まで手をださないのでしょう。

お金に関して実は神は同じ事をしていると思うのです。

3.お金持ちになりたいの!だから神様お願いね?

会社ならば商売繁盛

個人であれば金運アップ

こういうタイトルで神社は札書きやお守りを販売しています。

「販売」??

そうです。実は一番お金持ちになっているのは神社なのです。

神様側なのです。

先ほど神には決意表明ですよという内容のものをお知らせしました。

お賽銭箱にお金を放り投げて「お金持ちに」と言います。

チップを渡すからお金持ちにしてねというのは、有名監督に小遣い渡したんだからプロ野球選手しろといってることと同じです。

また、資本を渡したんだから倍にして返してくれというのでしたらお門違いです。

そういうことはFXか銀行でやりましょう。ここは神聖な場所なのですから。

毎年毎回こうしてお願いに上がりその度に賽銭を渡しているにも関わらず元金すら返ってこないなんてと嘆くのなぞ、

パチンコをしている人があの店はでないからと愚痴をこぼしているのとかわりません。

繁盛したいが毎年の恒例だからとか金運アップグッズ集めはなんとなくそうしていると落ち着くからとかも考え物です。

常習化は決意表明ではなくなっています。

「昨年はそれでうまくいかないとわかった。」

「では今年はこういう気持ちで違うこういう作戦で行きたいと思います」といった気づきの変化をも神様は見ているのです。

実はお金が絡む、金運という運勢すら神頼みをしていることはかえって金運を下げているのです。

おみくじに関して言うならばそこに書かれている金運は単なる記述です。

突然舞い込むとか出費が多くなるといった一見すれば具体的な内容であっても根拠までは書かれていません。

されど、記述は画期的なお知らせにもなりうるのです。

おみくじとは神の籤です。神様のお告げとして用意されたその人の今を表している一部のことでしょう。

おみくじ=お告げ、つまり、気づくためのチャンスということです。

運が悪い的な内容しか書かれていなかったらどうしょう?

それは、あなたが運が悪くなるような考え方しか持ち合わせていないのでその部分がやたらに気になっているのですよと教えられているのです。

運が良い人であればそのおみくじの内容は解せない。

そればかりか、そういう運気が下がりそうな時は気をつけるべきなのだなと考えて、運が悪い記述等へとも思わないのではないでしょうか?

知りたい自分がそこにかかれているんですよと教えてくれているのがオミクジなのです。

4.神社でやってるようにすればいい??

お金には執着や欲望がつきもので、それらが悪い気をまとってしまいます。

その悪いものを霊水で洗い流せば、清らかな心になり、お金は尊いものとなり、財運がつく。

大体金運を唱える場所ではそのようにいいます。

間違ってはいないことでしょうし、悪いことではありません。

しかし、そういって財が増えたことはあるでしょうか?

財が増えると言うのは入ってくるものが多く減るものが少ない、ちょうど山の上で堰きとめるダムみたいなものを言います。

違う部分としたら、お金は自然のような水ではないので勝手に入ってくることは無いという点ぐらいでしょうか?

しかし、物理的な理屈から言えば入ってこなければ貯まりようがありません。

清らかな心になるためには清らかな流れをいれなければなりません。清らかな流れを入れ続けなければなりません。

泥が混じった水が上流から流れれば何時までたっても泥の水が溜まるだけです。その悪い水をながすには透明な水しかないのです。

時間がたてば沈殿してきれいな水になるという人もいます。

かき回せば泥水に代わります。今はごまかしているのがバレズ安定しているかのように見えるだけで全く改善はされていません。

きれいな水は何をどうやってもきれいなままです。悪しき水さえ入れなければです。

つまり悪い気は良い心をもって改善すべしというのです。

霊水とはその水で自分が良い心に変わるんだと言う決意が伴っていなければ霊水にはならないのです。

依存的にいわれたまま水をあびたぐらいでは何も変わりません。

変わった気になってもその場限りで1週間もたてば忘れてしまいます。(そんなことやったなぁ位の思い出として残るていどです。)

あるいはその瞬間、見るからに変化が起きてきたなんていう心霊的なものでしたらいんちき商法以外はありえません。

せっかくお告げを理解し気づきにまで到着したのでしたら、(私は欲深かったな、お金にばかりとらわれていたなという反省)
そうした悪い面をあらため、これからは考え方新たに世間をわたっていきますからどうか応援してくださいと誓うぐらいではないとだめです。

5.さぁ行ってみよう!日本の金運アップ場所

お金に執着していることは悪いことではありませんが、お金にばかりとらわれているのはよろしくないです。

でも、年に一度ぐらい自分の財運革命のためにお金に詳しい神様の所に相談することはいいとおもいます。

800万も神がいるのですから自分にはいない財運の神様に「17番目ですが是非お願いします」と会いに行ってもバチはあたりません。

メジャーリーガーでもファンサービスで握手ぐらいはしてくれますもの!

下記はネットで調べた全国の銭洗い場所です。

神奈川県鎌倉宇賀福神社(銭洗い弁天)

神奈川県足柄下郡箱根町深沢銭洗弁財天

神奈川県平塚市妙圓寺(土屋銭洗い弁天)

神奈川県横浜市厳島神社(銭洗弁天社)

神奈川県川崎市武州柿生琴平神社(銭洗弁財天)

東京日本橋小網神社(銭洗いの水)

東京都港区皆中稲荷神社(銭洗不動)

愛知県犬山市三光稲荷神社(銭洗い池)

愛知県名古屋市金神社(恵比須・大黒天の像銭洗い)

愛知県小牧市玉林寺(銭洗様 )

京都市山科区本圀寺(九頭龍銭洗弁財天)

京都府京都市伏見区元政庵瑞光寺(白龍銭洗弁財天)

栃木県日光市日光二荒山神社(日光銭洗所)

長崎県諏訪神社(銭洗い井戸)

福岡県秋月竹地蔵尊(銭洗い弁財天)

埼玉県川越市熊野神社(川越銭洗弁財天)

静岡県沼津市淡島島の泉(銭洗い弁天)

まとめ

東京というお金に固執してそうな場所に意外とお金に関わる場所がないのが不思議ですよね?

きっと頼んでもしてくれないから自分でやるよという自立した人が多いのかもしれませんね。

なんていったて経済の中心ですから神様の力だってもうかりずに回せるよっていう感じでしょうか?

大阪などはもっともっと多そうな気がしました。でも浪速の商人もやはり神よりも紙なのかもしれませんね。

くれぐれもお金をあらったから良しなんていう愚の骨頂はしないようにしてください。

お金が風邪引いてしまいます。

それから乾燥が失敗して破けてしまった場合には銀行に行けば交換してくれますので大丈夫ですよ。

あなたならどんな決意でのぞみますか?いった場所で、そこを管理する人にその旨をつたえると驚かれますよ。

編集後記

黄色い財布をもてば財運とかこういう石をもてば運気上昇と言うことをききます。

バカにはしません。なぜなら雰囲気を大事にしたいのだなその人はと思うからです。

部屋にアイドルの写真を飾るのと同じです。

いつかはそういう人とお付き合いして結婚できるかもしれません。

そういう結果にならないにしてもそういう自分が好きで大事にしたい、そういう自分のまま幸せになりたい訳ですから個性ですもの。

しかし、それが無ければ財運がないといったとしたらもう反撃します!

持てばアップと言うのもおことわりです。黄金にあわせた黄色い財布でお金とのコーディネートもバッチリ。

気分が良くなれば心も軽やか。良い心が生まれればお金も喜んで入ってくるかも!どうですかこの商品!

正直にそれでいいではないですかね?

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でお金が無い.jpをフォローしよう!