もしこの世にお金というものが存在しなかったらどうなっているか?

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お金はモノの価値を計る便利なもの

まず、ドラえもんの道具で、「もしもボックス」というものがありますね? それは、「もしも、~なら」と言って、必要な時に元に戻せます。例えば、「もしも男女が逆だったら」とか。お金は、何か欲しい時に、対価をはかるものとして、統一されていて便利なものですよね? 原始時代は、貝殻や石をお金という形にしていました。何か欲しい、美味しいものが食べたい、家が欲しい、病院に掛かりたい、あんなことやこんなことをして欲しい、旅行に行きたい等々、全てがお金で解決されます。また、お金が欲しければ、働くことによって、貰える額は仕事内容によって差異が出ますが、お金を得ることは出来ます。しかし、世の中に、そのお金というもの自体が存在しなかったらどうなるだろうか? そこで今回は、ドラえもんの道具である、「もしもボックス」を使って、「もしもこの世にお金というものが存在しなかったら」と試してみているつもりで色々と妄想してみましょう。

お金がなければ等価交換か物々交換になるか?

元々、何かを得る、または与えるということで、物品と物品の交換、或いは物品とそれに代わる行為を行う、つまり物々交換から始まっています。例えば、原始時代では、貝と木の実の交換といった形でしょうか? 等価交換とも言えますね。しかし、等価交換では、必ずしも交換する物同士の価値が釣り合うとは考えにくいでしょう。また、個人個人、物の価値観が違います。食べ物で見ても、米10kgと握り拳大のフォアグラ1個と交換すると言ったとしても、フォアグラがそれ程好きでなく米10kgなら毎日の食事でと言っている人だったらその条件はまず飲めない筈。そして、どうしてもとなれば、喧嘩にもなりかねません。仕事をして何かを得るなら、仕事の報酬に例えば、「皿洗い3時間で牡蠣10個」とか、「1日3日間8時間労働で材木10本」とかそういった表記になることでしょう。しかし、この場合、そのものが欲しい人しかその仕事に応募しない人が出てくるはずです。或いは、「材木10本欲しい人は鉄骨10本」とか、そんな感じになって、鉄骨を得る為にまずは材木を得るといった手間も掛かってしまうことでしょう。その上、各々の価値観が違えば、今度は、双方の話し合いで、何と交換するかといった交換条件で契約になると考えられます。

恐らく最初は互いの価値観の違いから喧嘩

まずは、これが欲しい、その代わりあれをくれ、といった感じになることと考えられます。しかし、相手が、「なんでそんなに珍しいものをやるのに、そんなどこにでもあるようなものをよこさなければならないんだ」となれば成立しません。最初は、ものの価値観がわからないから、みんながどうしたらいいかわからない筈です。また、どんなに珍しいもの、高級なものでも、いらない人はいりません。例えば、確かに宝石は高級ですが、宝石に興味のない人だったら、もらっても困るだけです。また、お金があれば何百万、何千万といったダイヤの指輪でも、お金がなければ、何と交換したらいいかがわからなかったり、フルーツをトラック何台必要とかってなったりしても、それだけのフルーツを入手するのが大変です。自力で収穫しても、一人でそんな量を収穫は出来ませんし、誰かに手伝ってもらうならば、その手伝ってくれた人にも報酬を与える必要があり、事実上無理なことでしょう。しかし、そんな貴重な宝石でも、不要な人なら、そんな小さなものを得る為に、それだけ重労働したりとかってなったり、また、それだけの必要なフルーツを得る為に、必要量が揃う前に腐らせてしまったりと、恐らく永久にそれだけのものが集まらないでしょう。そのうち、「いつまで掛かっているんだ!」と苦情が出てきて、入手する側も一生懸命やっているのにいつまで経っても入手出来ないストレスから怒りが生じ、催促する側と喧嘩が生じて収集付かなくなります。

貨幣が存在しなければ必要となるもの

まずは、各家庭、各事業所に大型の倉庫と、農場と、漁港が必要となるでしょう。それこそ、鉄道会社にも、倉庫は必ず必要となってきます。何故なら、例えば、東京から新橋まで行くのにリンゴ1個とか。そのリンゴも、鮮度や種類によって必要量が変わってきますし、人気がないリンゴや鮮度の悪いリンゴなら受け取ってもらえないこともあり得ます。また、リンゴが用意出来なければ、違う物を用意しなければなりませんが、リンゴと指定されてしまえば、リンゴを持たない人は電車では新橋に行けず、歩かざるを得なくなります。家庭では、必要なものを得る為に、農場と倉庫を確保しなければなりません。或いは、海辺に住む人なら、漁の為の設備と倉庫が必要になります。しかし、それでは、住む場所によって作れるものと作れないものが出てきたり、各人の能力や得意分野にとっても、そういったことが出てきます。また、色々なものが集まる雑貨店なら、自分が何かを持って店に出向いて、そのものと交換することになるでしょう。そのうち、人や場所によって、得られるものと得られないものの違いが出てくるので、それからは、役割分担になってくることと思います。あの家庭は米を作るとか、どこそこの地域は果物を作るとか、あの海の近くはイワシを獲るとかそんな感じです。それから、自分達の作ったものを持ち寄って、何と交換するかで、求める食材を得てバランスがとれていくことになるでしょう。ただ、そのうち、農場や倉庫を維持をする為に今度は何を納めなければならないかという話になってきます。そして、公共のものなら、そこで色々なものが集まった倉庫を目当てに、自分で収穫出来ないものを入手しに行く文化が生まれる筈です。公共の機関がスーパーマーケットも兼ねる形になるでしょうか? しかし、お金があっても在庫がなければ入手出来ないものもあるくらいですから、貨幣がなければ在庫がない場合はどうなるかということになるでしょう。そして、だんだん、農場のあるところ、漁港のあるところと地域によって分かれてきて、あとは、人が集まる大都市では、スーパーマーケットが集まることでしょう。そのうち、すぐにその欲しているものを得る為に、スーパーマーケットを目当てに都心部に出かける文化が出てきます。しかし、やはり、個々のものの価値を計るものがないと、安定しません。

やはり統一の基準として貨幣は必要

色々、等価交換から妄想してみましたが、やはり、同じ物品でも質や機能によって、必ずしも物の交換でははかりきれなくなったり、そのものが得られなければ出来ないことということで、かえって貨幣がある状態よりも難しくなることが頭から浮かんできました。そういったことが、原始時代で、石や貝殻を貨幣にすることから始まったのだと考えられます。物品の交換という形だけでは、建造物を建てるには至難の業です。その点、貨幣が存在すれば、必要なだけの貨幣があれば建造物が建てられます。それらのこともあって、貨幣が生まれてきたことでしょう。但し、便利になりすぎてしまった世の中、人間、原点に返る為に、貨幣が存在しなかった場合のことも考えてみるのもいいかも知れません。

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