稲盛和夫がjalを再建したときの5つの方法


稲盛和夫氏は、経営破綻に追い込まれたjalを再生し、復活させました。

その経営手腕は、誰もが真似したいものですが、稲盛流の独特の経営だったということも出来ます。

では、稲盛和夫氏はどのように経営破たんをしてしまったjalを再生させたのでしょうか。

1.まずは決算書を見た

京セラやKDDIを創業した稲盛和夫は、jalの再建に携わりました。

jalは経営破たんをしてしまい、会社更生法の適用を受けましたが、稲盛氏の再建で、2年間で営業利益2000億円という回復を見せ付けました。

稲盛氏はまず、jalの再建をするにあたって、決算書を見せるように支持をしました。

潰れた会社の経営の根底に欠陥があると見た稲盛氏は、

「今現在のjalの内情を知るために、決算書を見たい」

と言ったそうです。

すると、jal側から提出された書類は、3〜4ヶ月も前のものでした。

この決算書では、稲盛氏の言う「現在のjalの状況」を把握することができません。

jal側としては、世界中に支店があるのだから、それをまとめるのには時間がかかる、という言い分でした。

ですが、稲盛氏はきつく「経営ではない」と叱りました。

経営は、今現在の状況を正確に把握することから始まります。

ですから稲盛和夫は、jalの再建にあたって、今の現状を知る必要があったのです。

2.社員を叱り続けた

稲盛和夫がjalの再建をしている間、幹部社員も含めて多くの社員が稲盛氏に叱られ続けていました。

jalの経営スタイルというのは、一握りの幹部が指示をして、組織がそれを守っていくというスタイルを続けていました。

なので、稲盛氏は非常に硬直化した官僚が集まっているような組織であるという印象を受けたといいます。

稲盛氏は二次破綻を防ぐためにも、一握りの経営陣に頼るやり方をしていてはいけないと思ったそうです。

そのため、まずは経営陣の心を動かすことから始めました。

稲盛氏流の哲学を話始め「人として何が正しいかで判断する」ということを言い続けたのです。

毎日毎日、社員を怒っていた稲盛氏に対して、社員は最初浮かない顔をしていました。

自分たちに自信があった彼らにとって、人に怒られるということは、自分を曲げることに繋がりそうだったのです。

それでも根気強く話した結果、心を動かしてくれる人が現れ始めました。

1人、2人と人数は増えていき、稲盛和夫の目指す社員改革をしたうえでのjal再建が可能になったのです。

3.フィロソフィを作らせた

jalの再建にあたって、稲盛和夫はフィロソフィを作らせることにしました。

そもそも、フィロソフィは稲盛氏が京セラやKDDIを創業するときに作成したものです。

稲盛氏は経営者とは孤独なものだと思っていました。

何の自信もなくても、自分で考え、決めていかなければ行けない孤独に、耐えなければいけないのです。

ですがそのとき、稲盛氏は「自分のように経営について心配するような分身がいればいいのに」と思ったそうです。

そして、稲盛氏が自分の考え方や判断基準をまとめたものが、京セラやKDDIのフィロソフィになっているのです。

jalの再建でも、そのフィロソフィは必要である、と稲盛氏は考えたのです。

当時のjalの社長である大西賢氏に、京セラのフィロソフィを渡し、参考にしてjalなりのフィロソフィを作るように命じたのです。

こうしてjalのフィロソフィは、数十人がかりで2ヶ月ほどかかって、作成されました。

稲盛和夫が命じたjalなりのフィロソフィがあったからこそ、jalの再建が出来たのです。

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