消費者金融プロミス創業者・神内良一の5つの経歴


消費者金融プロミスを創業した神内良一氏とは、どのような人物なのでしょうか?

その人の歴史を紐解くと、その人物がどんな人物なのか、分かると言われています。
では、プロミス創業者の神内良一氏の歴史について、紹介していこうと思います。

1.農業試験場に就職した

プロミス創業者、神内良一の歴史は、1926年から始まります。
1926年8月15日に香川県に生まれた神内氏は、太平洋戦争終了後に農業試験場に就職します。
当時の農業試験場の主な仕事というのは、新しい品種の開発や、生産技術の開発・向上でした。
当時は、戦後の占領政策によって、農業改良助長法が制定され、都道府県の試験研究や普及の役割が明確化され、国の支援が規定されていた時代でした。
そんな中、神内氏は北海道の根室で、農地開拓を夢見ていました。
実家が農家だったこともあり、自分の力で農地を切り開いてみせると意気込んでいた青年だったのです。
ですが、時代は戦後の混乱期でした。
戦後の混乱での食糧難や、北海道の冷害の影響もあり、根室の開拓は失敗に終わってしまいます。
神内氏は20歳で農林省に就職するも、24歳の頃に退職してしまうのです。
そんな経験から、プロミスの会長を退いた今、神内良一氏は、神内ファームを経営しているのです。

2.児童福祉施設での勤務経験がある

農林省を退職した後の神内良一氏は、その後、プロミスを創業する理由となる、児童福祉と出会います。
農林省を退職後、大阪に移住した神内氏は、児童福祉施設の職員となりました。
その頃の児童福祉施設というのは、困窮を極めていたものです。
戦後の混乱から抜け出せず、また、戦争で多くの孤児が生まれてしまった時代ですから、児童福祉に費やされるお金というのは、本当に微々たるものでした。
神内氏は当時、独立して児童福祉施設を作ろうと考えていました。
ですが、その費用というのは莫大なものです。
当初は、1年をかけて全国を回り寄付を募ろうと考えていた神内氏ですが、生活費を稼ぐことすら難しかったのです。
そこで神内氏が考えたのが、金融業でした。
児童福祉という大きな問題を解決するには、まず、お金が必要であると考えたのです。
神内氏は「児童福祉には金が必要だ」とい思いから、確実にお金儲けが出来る金融業を始めました。
これが神内良一氏がプロミスを創業した理由です。

3.児童福祉のためにプロミスを創業した

児童福祉にはお金が必要だと思った神内良一氏は、プロミスの前身となる関西金融を創業しました。
創業した当時は、個人に融資をする金融業というのは存在していませんでした。
質屋は、モノが溢れていく生活になるにつれて、徐々に衰退していきました。
そんな時代背景もあり、神内氏は独自の貸し出し方法や与信システムを考案したのです。
1963年から新しく始めた消費者金融のサービスというのが、現在のプロミスチェックシステムになっています。
連帯保証人等を必要としないで、約束手形のような機能がある小切手帳を用いた金融システムです。
現在の消費者金融の元になるシステムを導入しました。
そのため、当時としては画期的であるシステムとして広く浸透していき、現在ではリボルビング払いのシステムとして使われています。
高い利便性は、神内氏の思う通りに、人々に広がっていきます。
そのため、神内氏は児童福祉にも力を入れられるようになったのです。
児童福祉に力を注ぎたくて、神内良一氏はプロミスを創業しました。

4.プロミスは1996年に東証一部上場を果たした

神内良一氏が創業したプロミスは、1962年に関西金融として創業を始めました。
1963年に社名を「関西プロミス株式会社」に改名し、プロミスチェックと呼ばれる消費者金融を始めました。
当時は個人に向けた貸付は行われておらず、その利便性から、広く利用されるようになりました。
神内氏が古希を迎えた1996年には、東証一部上場を果たし、その名を全国に知らしめたのです。
プロミスの貸付システムは、現在のリボルビングシステムに繋がっています。
今でこそ普通に行われている「限度額内であれば、借り入れも返済も自由に行える」という方法は、神内氏が考案し、プロミスが始めたことなのです。
三井住友銀行の関連会社であったプロミスですが、2011年に実施された三井住友銀行の株式買い付けと、三井住友フィナンシャルグループの第三者割当増資によって、現在は三井住友フィナンシャルグループの完全子会社となりました。
SMBCコンシューマーファイナンスと名前を変え、サービス名が「プロミス」になっています。
神内良一氏は、現在広く利用されているプロミスやリボルビング払いの生みの親なのです。

5.神内ファーム21を経営している

プロミスを創業し、成功を収めていた神内良一氏ですが、プロミスを創業したあとも、農業への想いをわすれたことはありませんでした。
プロミスの会長を引退した後、農業への貢献を目標として、私財を投じて1997年に「神内ファーム21」を設立しました。
農業生産法人としての認可を受けて、浦臼で600ヘクタールの農地を取得し、事業を開始するのです。
「克冬制夏」をコンセプトとして、70歳にして神内ファームを設立した神内氏ですが、農業に対する思いは揺るぎませんでした。
寒さの厳しい北海道では難しいとされる南国フルーツの栽培を始め、年々収穫量を増やしています。
また、神内氏は自らが設立者となって「全日本あか毛和牛協会」をつくりました。
赤毛和牛の試食キャンペーンなどを行い、赤毛和牛の認知度を上げる試みをはじめたのです。
若い世代の農業への関心を高めるためにも、「夢現塾」という新規就農者の養成も始めました。
神内良一氏は、プロミスを成功させ、自らの夢である農業でも成功を収めたのです。

まとめ

1.農業試験場に就職した
2.児童福祉施設での勤務経験がある
3.児童福祉のためにプロミスを創業した
4.プロミスは1996年に東証一部上場を果たした
5.神内ファーム21を経営している

編集後記

プロミスの創業者・神内良一氏は、たくさんの苦労と挫折をしながら成功した人物です。
当時は奇抜な発想だったであろうリボルビングシステムも、現在では広く浸透しています。
プロミスや神内ファーム21の成功は、神内良一氏の熱い思いがあったからこそなのだと思いました。

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