柳井正氏の知られざる5つの経歴


柳井正氏は、幼い頃から変わり者としての経歴を歩んできました。

今では、世界的ブランドのユニクロのCEOとして、活躍の場を広げています。
柳井正氏の経歴について、詳しく紹介していこうと思います。

1.学生時代には商売になど興味はなかった

柳井正氏の経歴は、少し変わっているのです。
1949年2月に山口県で生まれた柳井氏。
実家は洋服店と土建業を経営している自営業の家庭でした。
高校時代のあだ名は「山川」でした。
人が山といえば、自分は川といい、人と同じことには興味がない変わり者として有名でした。
地元の高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学した柳井氏ですが、時代は学園紛争の真っ只中でありました。
学生運動は過激化していく一方でしたが、柳井氏だけは活動家に辟易していました。
活動家はいつも一本調子であり、ワンパターンである、と柳井氏は思っていたのです。
「本当に自分で考えていたのか」と思いながら、典型的な無気力学生でありました。
そんな中で、商売には興味がない学生生活を送っていたのです。
商売には興味がなかったものの、小さな頃から実家の商売を見て、聞いていたので、自然に商いの感覚は身についていたそうです。
小さい頃は商売は儲からない、と思っていた柳井正少年は、今後の経歴の中で経営の才能を身につけていくのです。

2.大学卒業後に、商売の面白さに目覚めた

大学卒業後の柳井正氏の経歴は、少し意外なものかもしれません。
大学卒業後には、父親のススメでジャスコに入社しました。
ですが、仕事が面白くないという気持ちが多く、「早く辞めたい」と常に考えていたそうです。
ジャスコに就職してから1年も経たないうちに退社をしてしまいます。
退社後、半年ほどは東京をブラブラする生活を送っていた柳井氏は、友人の家に転がり込んで生活をともにしていました。
ですが友人は就職し、毎朝出社していくのに、自分だけはブラブラしている生活は、柳井氏を憂鬱にさせました。
そして、山口の実家に戻ったのです。
実家に戻ると、紳士服専門店を一手に任されることになりました。
そこで、初めて商売の面白さに気付くのです。
従業員のやる気のなさや仕事の効率の悪さを指摘すると、店員は全て居なくなってしまいました。
ですから、柳井氏は20代で責任を一手に引き受けることになってしまったのです。
ですが、結果としてそれは良かったのだと柳井氏は言います。
やったことが自分に返ってくるという面白さを知った柳井正氏は、その後の経歴にこの経験を活かしていくのです。

3.ユニクロの創業に尽力した

柳井正氏の経歴で、一番大きな転換期というのは、やはりユニクロの創業です。
柳井氏は1984年に、父の後を受けて小群商事の社長に就任します。
「ユニークな衣料(closet)」という意味を持たせて、「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」、通称・ユニクロを開店したのです。
その第一号店は広島市にオープンしました。
事業の拡大は中国地方を中心に店舗を増やしていきます。
ユニクロの創業にあたって、柳井氏はあるアイデアをひらめいていました。
それは、本屋やレコード店のように、ふらっと寄って、ふらっと出てくることが出来る洋服店をやれないだろうか、ということでした。
そして、その当時はメーカーが小売価格を決めていたので、店舗を経営していても、商売をしているという感覚が薄かったのです。
自分たちで商品を作って、自分たちで価格をつけるということが出来ることが、商売の本当の価値なのではないかと思ったのです。
そして柳井正氏は、日本でチェーン展開をしていくユニクロを創業し、経歴を伸ばしていくのです。

4.ユニクロ原宿進出で、商品を見直した

柳井正氏の経歴で大きな転機はユニクロの創業でしたが、ユニクロの転換期といえば、原宿出店でした。
ユニクロの当時のイメージというのは「田舎から出てきた安売りの服屋」です。
ですから、ファッション雑誌の編集者は、こぞって東京進出は失敗するだろうという見方をしていたのです。
ダサいファッションであるユニクロは、東京では受け入れられないだろうと思われていました。
ですが、蓋を開けてみればユニクロは東京でも大人気のブランドになりました。
そこには、柳井氏の大きな改革があったのです。
柳井氏は、東京進出、原宿進出を目処に、商品を全て作り直すことを決意します。
目玉となる商品は、今では一般的になった「フリース」です。
そして、納得できる商品しか店頭に置かないように徹底しました。
その結果が、原宿店の大成功であり、その後のユニクロの進むべき道が見えた瞬間でもありました。
柳井正氏の考え方は、ユニクロの経歴にも大きく関わっているのです。

5.世界規模

現在、柳井正氏の経歴は、世界でも注目されるものになっています。
2001年にはロンドンに進出、日本各地だけではなく、世界進出を果たしたユニクロはまさに、ファストファッションの先駆けともいえるでしょう。
ユニクロ創業当時は、せいぜい30店舗が限界だと思っていた柳井氏。
どんなに頑張っていても、売り上げ30億円が精一杯だろうと思っていたそうです。
ですが、ユニクロの売り上げは30億円を超え始め、個人経営でやっていくには上手くいかないと考え始めた柳井氏は、経営者になる決意をしました。
経営者として生きていく決意を下やないしは、経営は単調でつまらないものであると思いながらも、ユニクロの拡大を進めていきました。
その結果が、ロンドンをはじめとする世界進出を進めていきました。
若い社員には積極的に海外に行くように勧め、経営者になってほしいという気持ちを伝えてきました。
将来的に、若者が活躍できる世の中にすることが、柳井氏の目標なのです。
柳井正氏の経歴というのは、これからもどんどん進化していくでしょう。

まとめ

1.学生時代には商売になど興味はなかった
2.大学卒業後に、商売の面白さに目覚めた
3.ユニクロの創業に尽力した
4.ユニクロ原宿進出で、商品を見直した
5.世界規模

編集後記

柳井正氏の経歴というのは、一般の人からはかけ離れているかもしれません。
でも、柳井氏は「自分の力で経営をしよう」と思ったときに、そのためにはどうしたらいいかを考えることが出来ていました。
柳井正氏の経歴を真似することは出来ないかもしれませんが、自分の力を信じることで、柳井氏のような人生を歩めるかもしれません。

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