お金持ちの金運とはなにか?お金を引き寄せるのは運否天賦ばかりではない

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金運と言うものを信じますか?

金運と言う物の存在を皆様は信じておりますでしょうか?

神社やお寺にもそれをメインにしたところはありますし、金運グッズなどや風水や生活習慣なんかで金運を上げようという事を望んでいる人が多いのはそれ関連の売り上げの高さから分かります。

しかし本当に金運と言うものが存在するのでしょうか?

私個人としてお金と言うのは現実の象徴であり、そうした神様や神秘的なものとは一番縁遠い物だと思っています。

もし神様がお金を引き寄せてくれるなら信心深い人たち、特に神社やお寺などで伝統や習慣を守り文化を残そうとしている人たちの方こそお金持ちになってもらいたいと私は思います。

グッズを作る人はそれが売れれば確かにお金持ちになれるのである意味金運に関するグッズは金運の象徴とも言えるかもしれませんが、買われる側が儲かる「金運グッズ」といわれたら誰も求めはしないでしょう。

そしてそうした人たち以上にお金持ちになる人の方が圧倒的に多く、金運グッズもジンクスも神頼みも全部意味がないものなのかと言うとこれもまた私はそうは思っていません。

この世の中は情報化社会と言っても情報が社会を作っているのではなく、人間が情報をやり取りすることで今の社会を作っている事に変わりなく、人が作っている社会と言う意味でははるか昔から変わってはおらず、人の考え方が全てのものを作っていると私は考えます。

そこで金運と言うものについてもそれは同じで、金運とは運否天賦によるものだけではなく人間の洞察や心がけ、あるいはものの受け取り方が作っているものだと考えています。

今回はそんな金運について考察してみました。

お金持ちの金運とはなにか?

試しにインターネットで「お金持ち 金運」と検索してみて下さい。

金運と言うものが存在し、それが運否天賦によるものだとするのならこれででてくるものは「実際のお金持ち」と言う人と「どこの神様におまいりを欠かしていない」であるとか「金運を上げる何々を所有している」と言う情報が出てくるはずです。

しかしでてくるのはお金持ちになる方法としてかなりメジャーなお財布のジンクスや金運グッズの紹介で、実際にそれがどれほどの収入を上げたとか、それでお金持ちになったという明確な人の事が出てこなかったり、神様やグッズではなく習慣や意識などに関しての事ばかりが出てきます。

金運に関するグッズやジンクスについては次の項で触れるので今回は一旦完全に意識の外において下さい。

そう考えて改めてインターネットの検索で引っかかったものを確認していくと「金運体質」「金運アップの習慣」「金運上昇のコツ」などと色々な言葉で書かれていますがどんな意識をするか?あるいはどんなことを心がけるか?という事についてが書かれている事が分かるでしょう。

その為金運とは運否天賦に頼るものではなくて自分自身の行動や心がけでお金と言うものを引き寄せることが出来るかという事が大きな要因を占めているという事が考えられます。

例えば「お金がないといわない」「明確な目標やお金持ちになったときのイメージを持つ」という事が紹介されています。

「お金がないといわない」という事で金運を上げる方法については、言霊がある、自分で「お金がないようになりますように」と呪文をかけているのと同じだから、お金の流れは一種のエネルギーなのでそのエネルギーを拒絶してしまうことになるからなどと言われています。

しかしこれ現実的に考えてみても当たり前の習慣です。

お金がないと口にする人はお金が欲しい人なので何かを買うときもお金を得るときでも足元を見られます。

お金が無いと言う人とは遊びに入ったり食事やお酒を飲みに誘ったりという交流を持つことを避けてあげようとするでしょうし、単純に不快に思う人も多いでしょう。

また「お金がない」と口にする人をお金を得るだけの能力がない人と判断することもありますし、例え能力があっても人格又は性格に少し問題があると思われます。

「明確な目標やお金持ちになったときのイメージを持つ」という事に関しても現実的に考えて、そうしなければ具体的な計画や行動が思いつきませんし、必要な出費とそうでない出費の区別をつけることすら出来ない「常態」である事も多いです。

つまりこうした金運アップに関して言われているという事は金運と言うよりもお金を得たいと思うのならばしておいた方がいい心構えであるといえるでしょう。

金運グッズや神頼みによる思い込み

金運と言うのは思い込みでなっていると言う面もあります。

例えば何かの金運グッズを求める人はそれだけ金運に恵まれたい、あるいはお金が欲しいと思っていると言うことを望んでいます。

そして世の中の物事と言うのは結果に対してどう思うかで決まると言う傾向があります。

これが金運またはお金そのものを求める心を反映して望んだ結果にしていると言う形で出るのです。

例えば金運を上げてくれる神様にお参りをして、金運を引き寄せる黄色の財布や特定の鉱石や宝石を持ち歩いているときに100万円の宝くじが当たったとします。

するとその人はこう思います。

「金運アップのグッズを持っていたから100万円も当たった!いや、神様のところにおまいりしたから金運が上がっていたおかげかもしれない!」

しかし、たまたまいつもしている神様にお参りをしていない日で、黄色いお財布も特定の鉱石や宝石も持っていない日に100万円当たったとしたら同じ人はこう思うのです。

「今日は神様にお参りもしなかったし、金運アップのグッズも持っていなかったから最大で1億当たる宝くじで100万円しか当たらなかった!なんてついてないんだ。」

同じ物事だとしても思い込みと言うのは時としてこういう受け取り方で全く違う感情を抱くことがあるのです。

金運と言うものがあると言う思い込みこそが金運と言う言葉、あるいは概念を生み出しているといってもいいでしょう。

金運と言うもののそれは個人の力である

金運と言うものは意識や心がけによる利益を生み出す心得の総称だけでなく、神頼みによる思い込みだけでもないです。

それは何かと言うと金運という事にしている自分が行っている行動です。

例えばギャンブルにおいて勝ち越す人がいたとしましょう。

人間同士で行われるギャンブルであれば相手の表情や仕草、あるいは経験、会話や本当に些細な動きから相手の心を洞察したりゲームについて必要とされるスキルが高い人はそうなる傾向が高くなります。

競馬や競輪など直接自分と相手の間でしないものや、機械相手のパチンコやスロットと言うものでさえ勝ち越すという人が偶にいます。

そうした人がいると言うのは運否天賦によるものでそれこそが金運だと思う人もいると思いますがそれは違います。

そうした人はそうしたギャンブルにおいての負けないようにするための行動がきちんと取れており、結果として勝つときが負けるときより多くなるというのが本来の姿なのです。

そうした人達は自分達が握っている勝つための、利益を上げられる手段を多くの場合秘匿します。

それを知られて対策を取られたり、それをまねされることで自身の利益を失う恐れがあるからです。

そうした時に使う言葉こそが金運。

金運以外にも「今日はツイている」「幸運の女神がいる」「流れが向いている」などそうした言葉で誤魔化してはいるもの蓋を開ければ実は実力以外の何物でもないのです。

また場合によっては本人にとってなんでそれが出来るのか?どうして勝てるのか?を説明できないときなどにもこの金運と言う言葉は使われます。

金運であるとは言うものの本人の自覚のあるなしに関らず、そういわれているだけで実際には世の中には金運だけでは利益を上げられることなんて意外とないのです。

金運と言うものは頼るものではない

以上の事から金運と言うものは本来は頼るべき物でないという事が言えます。 グッズや風水あるいは神様に頼るという事でお金を得ることができるほどこの世の中は甘くはありません。 正しそうした金運と言う言葉にされているだけで利益を生むことのある考え方や日ごろの行い、表現できないスキルやセンスと言うものは確かに存在しています。 そうしたものを獲得したり、そうしたものに触れる切欠にするために金運と言うものを考えたり、その存在を理由にしたりすることはいいことだとは思います。 あるいは「利益を得ることができたのは毎日祈っている神様のおかげです」と感謝するという事はとても良い習慣ですし多くの人に好感を持たれるでしょう。 しかし金運と言うものに拘り、無駄な散財を繰り返したり無理な投資をしてしまったり、金運と言うものを信じて頼り自身の資本を失うことは本末転倒なことだと言えます。 確かに物事には流れと言うものが存在し、金運と言うものもあるいは本当にあるのかもしれません。 しかしそう言ったものがあるとしても、それを引き寄せたり感じ取ることが出来るのは金運と言うものに頼り切った人よりも、自己研鑽と努力を積み重ねた人であることに違いはないでしょう。

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