経営の神様松下幸之助から学ぶお金を稼ぐ仕事のできる人の話

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松下幸之助と言う人

松下幸之助氏(以下、松下氏)と言えば四半世紀経った今でも語り継がれる日本の名経営者です。

その理由は幼い頃から丁稚奉公に出され、様々な苦難を乗り越えて一大企業を築き上げるというサクセスストーリーが日本人好みなのでしょう。

更に松下氏は社長職を退いてからも若さを求めて社員と積極的に交流を図りました。

成功しても驕らない、常に謙虚な姿勢が日本人の礼節の姿を映しているというのも大きいかもしれません。

今でも松下氏の著書や彼のあり方をまとめた書籍は数多くあります。

彼がなぜここまで大成したのか、そのいくつかを読むと片鱗が垣間見えます。

松下流のお金と仕事の哲学は現代でも学ぶべき所が数多くあります。

ここでは私が気に入っている松下氏のエピソードを持論を交えて紹介します。

専心がもたらすもの

松下氏が幼少時、自転車屋に奉公していた頃のエピソードです。

松下氏はとある蚊帳問屋に自転車を売りこんだのですが「1割引いてくれたら買う」と交渉されます。

「買って貰えるのなら」一も二も無く承諾し、自転車を取ってくるために喜んで自転車屋に戻ります。

しかし「いきなり1割値引くとは何事だ、5分しかまからないと言い直してこい」と主人に叱られ泣き出してしまいます。

「なんとか1割になりませんか」「ならん、5分だ」こんな問答をする内に蚊帳問屋の番頭さんが自転車屋に現れます。

「なかなか自転車が来ないからどうしたものかと思って来てしまいました」と番頭さん、自転車屋の主人は事のあらましを説明します。

「それはそれは…」困り果てた番頭さんは自転車屋を後にします。

後日、いきさつを聞いた蚊帳問屋の主人は松下氏を呼びつけます。

「お前はなかなか見所がある。よかろう5分で買おう」更にこう続けます。

「私の店が続く限り、お前が勤めている限りお前から自転車を買おう」こうして蚊帳問屋は長い間常連となってくれました。

なぜ松下氏が食い下がったのか、何が蚊帳問屋の主人の心を動かしたか真意は本人しか知らないことでしょう。

しかし泣き出してしまうほど専心して仕事に打ち込んだことがどれだけあるでしょう。

この経験は後々まで松下氏の記憶に残ることとなり、また私たちにも学ぶところがあるように思えます。

年を経て、今度は大阪電燈(現在の関西電力)に勤めていた頃のエピソードです。

この頃は家に電灯をつけるのが主流になっており、とあるお寺さんで工事をすることになりました。

配線を通すために天井裏に潜りこむことになったのですがここがまるで地獄のようだったそうです。

この頃の明かりはロウソクでただでさえ熱いのに季節は夏、屋根から伝わる熱気で全身から汗が滴り落ちます。

更に築200年のお寺なので積もり積もったホコリが身動きする度に舞い上がり、息をするのも苦しかったそうです。

しかし仕事を終えて天井裏から抜け出した先には天国が開けていました。

今まで暑苦しいと思っていた外がこんなにも涼しく開放的な場所と感じることが何とも言えない心地よさだった、と松下氏は回顧しています。

確かに仕事では自ら望まないような過酷な環境に放り込まれることもザラにあります。

しかし一仕事終えたときの開放感、達成感というのは仕事でなければ得られないものでしょう。

仕事には時にお金以上の価値があることを教えられたような気がします。

仕事に誇りを持つ

これも松下氏が大阪電燈で働いていた頃、難波駅前でのエピソードです。

人力車を利用したとあるお客は15銭の代金に対し20銭を車夫に渡し「残り5銭は取っておきなさい」と立ち去ろうとしました。

するとその車夫は「いいえ頂けません。私は15銭分の仕事しかしておりません」とお客の袂を掴んで引き止めました。

あげる、受け取れないとしばらく問答があったのち、結局お客が折れて釣りの5銭を懐に収めました。

毅然とした車夫の態度に松下氏は大きく心打たれると共に大きな畏敬を抱いたそうです。

多くの人が儲けたと受け取る中、彼は車夫としての誇り高さと心の豊かさを見せました。

この姿は松下氏が大阪電燈を辞めて独立した後も、仕事とはこうでなければならないと心の中に強く根差したそうです。

私はその車夫も心の底では欲が芽生えたが、仕事への誇りでそれを押しとどめたのだろうと考えます。

その心意気、潔さは素晴らしいものですし深く敬意を示したいですがそれよりも素晴らしいと感じることがありました。

「私は15銭の仕事しかしていない」自分の仕事の値段を忘れていないことです。

現代では月給など時間の経過が給与の額となる中では、自分の仕事がいくら分なのかを忘れがちです。

ダラダラと過ごしても火が付いたように働いても同じ額、ならば少しずつ手を抜こうとしてしまうのは人間の性かもしれません。

私は給料分しっかり働いている、と胸を張って言える人がどれだけいるでしょうか。

続いては松下氏がビジネスウィークの取材を受け、掲載する写真を取ってもらうときのエピソードです。

約束の時間に場所に行ったら既にカメラマンがいて何やらしている、聞くと1時間半前から準備をしており今ようやく終わった所だったそうです。

準備に1時間半、これだけでも松下氏を驚かせたのですがいざ写真を撮り始めると更に驚きます。

撮るのは2,3枚だと思っていたら何と切ったシャッターは130回、時間は1時間でしたから30秒足らずで1枚ということになります。

しかもその合間合間に角度や表情、身振りの注文が入るしバックも変更すると大忙しでした。

さすがは世界に名だたるビジネスウィークから仕事を請けるカメラマン、これが超一流の仕事かと感嘆させられっぱなしだったそうです。

効率の良い仕事には万全の準備が不可欠、とはよく言われますがこれがその姿かと文章で読んだ私も感じ入りました。

そしていざ仕事となれば電光石火、心血をその一瞬一瞬に注ぎ込む様はまさにプロの姿でしょう。

試合が始まってから準備体操を始めるスポーツ選手はいないように、一流の仕事人は準備万端の状態から仕事に臨みます。

始業時間になってからおしゃべりを止めてゆるりと席に向かい書類を広げ始めるような人は一流とは言えないでしょう、普段の仕事ぶりを省みさせられます。

 

適性に立つ大切さ

これまでは仕事に打ち込むことの大切さを語っていますが、そのためには自分の向き不向きを見定めることも大事だと松下氏は語っています。

とある会社の幹部社員の知人が。

別の会社から社長になってくれと要請を受けたエピソードです。

その知人は今いる会社でも腕利きと重用されていましたが社長の地位も魅力、どうすれば良いか別の友人に相談したそうです。

「お前が社長となるなら俺も心強い」と乗り気の友人、それならと引き受けることにしました。

所が2年もする内に業績が悪くなり退任に追い込まれてしまいました、なぜでしょうか。

彼は幹部としては優秀だったものの社長職には向いていなかったのではないか、と松下氏は考えました。

会社幹部と社長では仕事の質が違う、責任の取り方が違う…幹部として有能な人が社長としても有能とは限りません。

どんな人でも仕事を優秀にこなすには適性を見つけ、そこに立つことで輝くのだということを実感したそうです。

現在では仕事の内容よりも年収や会社の将来性に重きを置きます。

子どもがやりたい仕事を見つけても親は安定しないからよしなさい、もっと給料のよい会社へ…と諭します。

しかし適性から外れた仕事を続けることにその子ども自身の安定や将来性はあるでしょうか。

感謝

松下氏は感謝を知らないものはおそれも知らないと考えていました。

ヒトラーも日本の軍部もこれまでの繁栄への感謝を忘れたからこそ滅びの道をたどった。

おそれを知らないと傲慢になり己を過信し増長していずれ滅ぶ、感謝を失うことの恐ろしさをこう述べています。。

天王寺のある場所で荷車を引いていた人を見かけたエピソードは松下氏が会社を発展させる大きな原動力となっています。

その人は車を止めるとおもむろに近くの家の庭先にある水道で口を漱ぎ始めました。

明らかに水泥棒なのに咎める人もいない、これは何故だろうと松下氏は考え始めます。

価値のあるものでも無限に等しい規模で大量にあるならば人は寛大になれるのではないだろうか…。

私の使命は水道の水のように価値のある電気器具を豊富に作って溢れさせることだ、と松下氏は気付いたそうです。

それからの松下電器(現パナソニック)の発展には使命感に燃える松下氏の姿が映っているように思えます。

現代、私たちは水と同じように安全やインフラ、インターネットが溢れています。

ありふれているものだとその価値に気付きにくい、災害が起きて不便になって初めてありがたみに気付きます。

まずは毎日元気に動けることから、当たり前のものの価値を見直すことが新しい価値を生み出すことにつながるのかも知れません。

時代を超える松下幸之助

松下氏が亡くなってから四半世紀、日本有数の名経営者としての人気は今なお衰えません。 それは幼い頃から苦労し、GHQの弾圧や負債10億円など七難八苦を乗り越えて大成したサクセスストーリーに魅力を感じることもあるでしょう。 しかしそれ以上に松下氏の伝える、時代を超えた仕事とお金の真理に大きく共感するからではないでしょうか。 最後に松下氏は他の経営者にはない、とある特徴を持っていたからだと思います。 それは常に若さに羨望を抱いていたこと、若さに傲慢で無く憧れていたことです。 多くの人が大成して若者を見下す中、松下氏は常に若さに学ぼうとしていました。 それは社長職を退いてからも若手社員と進んで交流を図ろうとしたことから見ても明らかです。 とある学校で生徒たちに演説を頼まれたときは壇上で「皆さんが羨ましい」と感極まってしまったそうです。 若いことは大きな力、若い内は色々出来るし可能性も豊富で羨ましいと嫉妬すらあったといいます。 肉体が老いるのは止められないが心は常に若くいることが出来る、ならばせめてそうありたいと思っていたのが松下氏です。 あなたが「まだ若いからダメだ」と思うなら松下氏から何か学べるかも知れません。 または「もう歳をとっているから」と思っていても松下氏に学べることはあるはずです。 仕事、お金…成功の定義は人それぞれですが土台となる考えはそう多くない気がします。

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