お金が欲しいと思っているのは本当にあなたの意思ですか?

shutterstock_138302168

お金が欲しいと思わされている人へ

お金が欲しい。

多くの人がそう思っている事でしょう。

何か欲しい物がある、将来のため、今の生活のためなど人それぞれだと思いますがそれ本心からそう思っていると言い切ることができるでしょうか?

確かに今の社会においては何をするのにもお金と言うのは必要であり、誰だってお金が欲しいと思うのは当たり前の事です。

しかし冷静に考えてみていくらのお金があったらお金が欲しいと思わなくなると思いますか?

こう聞かれて即答できる人と言うのは意外に多くはないのです。

即答したとしても「大体1億ぐらいあったら良い」「一生遊んで暮らせるぐらい」と言った漠然とした答えの人もいらっしゃいます。

そうした人はお金が欲しいと思わされている可能性が大なり小なりあると言えます。

起きて半畳、寝て一畳。

と言う言葉を聞いたことはありませんか?

どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が占める場所は、起きているときは半畳、寝るときは一畳あれば充分足りることから人は必要以上の富貴を望むべきではなく、満足することが大切であるという教えです。

この後更に後に「天下取っても二合半」と言う言葉が続きます。

今で言う収入の高さを表す「石高」と言うものが昔の日本にはありまして、これは土地の生産性を納税するお米で表した数字です。

「100万石の大大名」と言う言葉で聞いたことはありませんか?

しかし天下全てを手中に収めて1000万石と言うお米を自由に出来ようとも人が実際に自分で消費するお米の量は精々「二合半」ぐらい。

1石=10斗=100升=1000合なのでそもそもそんなに一人の人間が満足するためには必要ないという話ですね。

さて、こうした話を読んでいただけた方に改めてお尋ねします。

「あなたはお金が欲しいと思わされてはいませんか?」

実はそのせいで欲しがっているお金を使わされていたり、騙し取られていると言う可能性もあるのです。

今回はそんな「お金が欲しいと思わされている」という事があるという事について考察してみました。

普通をこよなく愛するからこそお金が欲しい

お金が欲しいと思わされていると言う人のタイプは様々ですが、日本人に多いのは「普通であると言うことのため」にお金が欲しいと思っている人が多いです。

例えば1億円ぐらいお金が欲しいと言う人にポンと1億円与えてみましょう。

するとどういう反応が返ってくるのかと言うと多くの場合「拒否」と言う反応が返ってきます。

疑いや遠慮からと言うのもそこにはあるのでしょうが気心の知れた家族や友人からの善意が確信できるものであっても多くのお金が欲しいという人は大概それを受け取ることを拒否します。

本当にお金が欲しい、必要だと言う状況下であったなら他人のものを奪い取ると言う犯罪行為を犯してもお金を手に入れようとするものです。

確かにあまりにもお金が無いと言う状況は「普通」ではないのでなんとかしようと思うわけですが、ありすぎるのもまた「普通」ではないのです。

その為、1億円を貰うと言うのではなく、たまたま1億円自分の力で手に入れたとしてもこの「普通」を心がけている人たちは何故か悪い事をしているような罪悪感や、言いようの無い不安に襲われてしまうと言う思い込みに囚われます。

1億円が1000万円でも大体同じ、100万円となってくると一気に受け取れる人が増え、10万円だと殆どの人が自分で稼いだと言う前提条件であるならただ喜びます。

これは何故かと言いますと「普通」手に入れることが出来るお金であるかないかが基準となっています。

お金が欲しいと思わされている人の中には実際のところ求めているのは「普通」であって、お金が欲しいと思う事が「普通」であると思っているからお金が欲しいと思わされているという事も結構あるのです。

お金が欲しいのは必要だからではない

お金が欲しいと思わされている人の中には本当に洗脳とも言えるような状態でお金が欲しいと思わされているケースがあります。

子供のころに「皆がしているから」「皆が持っているから」と言うのを理由に何かが欲しくなったりやりたくなったことがあると思います。

そうしたものの中には本当にくだらないことがあったり、自分がやっていて本当は楽しくない物だってあったと思います。

そうした「皆が」を理由にして何かを欲しがる子供に対して大人は「ウチはウチ、他所は他所」などといって不用性を説いたりする訳ですが、そうした親御さんがブランド物なんかを欲しがってこっそりと買うケースは実に多いです。

お金と言うものはそうした子供が「皆がしている、持っているから」と欲しがったり、大人が「流行っているから」と欲しがったりする以上に「本心から欲しい訳ではなくともそれを求めるのが当たり前だから」欲しがられるものです。

その為、お金は使い道が無くてもとりあえず欲しくなります。

高級な料理をお店で食べるより、好きなように好きなときに自分の家でそこそこのご飯を食べることの方が気が楽だと言う人の方が多いのに、多くの人に求められるのはお金のかかる高級な料理をお店で食べること。

高価な家電製品、ブランド品、宝石、車など色々とお金がかかるものの方が多くの人に好まれる訳ですが、それがどうしても欲しくて、という事と必要性は別の話で、多くの場合ステータスとして欲しいわけです。

ではそうしたものがステータスになる理由はなんなのかと言いますと、お金があることの証明になるから、つまり皆がお金が欲しいと思っているから持っているぞと主張することこそがステータスになるわけです。

それって果たしてお金の「必要性」からお金が欲しいと思っていると言えると思いますか?

他の人がして欲しいことをさせるためにお金が欲しいと思わされている

お金が欲しい、そう思ったときにすることと言えばなんでしょう?

多くの人は労働であると答えるでしょう。

労働すると対価としてお金がもらえるわけですから、逆に言うなら企業としてはお金を渡す事で働いて欲しいと言う思いがそこにはある訳です。

その働いて欲しいと言う願いをお金を対価にしてかなえるためには人がお金が欲しいと思ってもらっていなければなりません。

その為人にお金が欲しいと思ってもらえるような状況を作り出します。

例えば「これからはコレが必要になる」と表現したり、「現状この機器が必須」という事をマスコミに言うようにしてもらったり、時には平均収入と言うものを敢えて高く見積もり発表することで、多くの人に「もっとお金が欲しい」と思わせるようにしているわけです。

意外とこんな単純な事でも私達は簡単に乗せられ、今以上にもっとお金が欲しいと思わされており、一生懸命労働することに熱意を燃やし、時には割に合わないようなことも喜んでするという訳です。

サービス業に従事する人、もしくはかかわったことのある人であったら身を持って1度は体験したことがあるはずです。

「お金が欲しいからとは言え、こんな事までしないといけないのか?」

という事。

お金と言うのはそうするだけの価値があるからこれで仕方がないと企業は思わせて人を使うわけですが、インフレやデフレでお金の価値が変わった時にその価値が変動することを体験したりした人なら分かるように、「お金よりもアレが欲しい」と思われた時、お金は社会において人にいう事を利かせられることの出来るものでは無くなります。

必要以上にお金が欲しいと思い込んで割に合わない仕事をさせられ続けた結果起こるものがワーキングプアと言う状態。

労働させたい企業の思惑通りに必要以上にお金と言うものの価値を重く捉えてお金が欲しいと思いこんではいませんか?
 

お金が欲しいと思いこんだ人の所にお金は来ないように出来ている

以上のように本当に自分の意思でお金が欲しいと思ってはいない人と言うのは意外と沢山いらっしゃいます。 そしてそうしたお金が欲しいと思いこまされている人のところにはお金と言うのは集まらないようになっています。 なぜならそうした人にお金を与えてしまうと「お金が欲しい」と思い込ませて人を扱うことが出来なくなるからです。 常に人を思い通りにするためにはその人に満足行く状態を作り出さないようにするのが肝要でお金が欲しいと言う気持ちを満たさないようにするために社会は人に色々なものを提供し、満足させないようにしています。 しかしそれ、逆を言うなら自分にとって本当に必要なお金と言うものの基準を設けて満足することが出来るようになったのならば、人の思い通りにされることなく、生きることが出来るようになるためにお金が欲しいと思いこんでいたとき以上にお金を手に入れることが出来るようになるということでもあります。 本当にお金が欲しいのであれば今一度考えてみて下さい。 「あなたは本当に自分の意思でお金が欲しいと思っていますか?」

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でお金が無い.jpをフォローしよう!

お金が欲しいと思っているのは本当にあなたの意思ですか?
Reader Rating 1 Vote