一台「85万円」でフォルクスワーゲンを作れ!その指令を守った男

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トヨタ自動車と競う、ドイツのフォルクスワーゲン

2015年、ドイツの自動車業界は空前の黒字を稼ぎ出す「はず」でした。

それが一転して、巨額のペナルティを課され、販売が落ち込み、そして各国で損害賠償請求の裁判が起こされてしまいます。

それがドイツ最大、否、欧州最大の自動車会社にして、世界一の販売数を日本の トヨタ自動車 と競い合っていた「VW」こと、フォルクスワーゲン社です。

フォルクスワーゲンは「ゴルフ」「パサート」など、小型車から中型セダン、ワゴン車などが世界で人気のメーカーです。

VWは日本で19モデルを販売しており、同じドイツのメルセデス・ベンツが30モデルあることを考えると、少ないモデル数で量を販売できていることがわかります。

さて、ドイツでの乗用車の販売台数は、2015年1月から12月の累計で、320万台。

そのうち、68.5万台をVWが占め、ドイツ国内シェアの21%に上ります。

2位以下は、メルセデス・ベンツ(28.6万台、8.9%)、3位はアウディ(26.9万台、8.4%)、4位がBMW、5位はアダム・オペル、6位がフォード…となっています。

2015年のディーゼルエンジンの排ガス問題は、これからのリコール処理が終了すれば、再びVWの勢いは盛り返すのでは、と言われていますが、それにはある「根拠」があります。

それが「1,000マルクで買える車にせよ!」という絶対指令から始まった会社だったからです。

現在のドイツ経済の根幹は、2人の男の力で始まった

1933年2月、旧ドイツ(これからは、旧ドイツ・東西ドイツ・現ドイツ、と歴史順に3表記していきます)の政治はNSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首、アドルフ・ヒットラーの手にありました。

ヒットラーは「アウトォバーン」という、高速自動車専用道路をどんどん完成させ、国民ひとりひとりが自動車を持つ社会を実現する、という計画をぶち上げます。

ドイツにはもともと1880年代にカール・フリードリヒ・ベンツとゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー、そしてヴィルヘルム・マイバッハの3人が同時期に自動車に関する発明を行っていました。

現在あるダイムラーベンツ社には、メルセデス(メルツェデス)ブランドの乗用車がありますが、1900年から使われたこのメルセデスは、その当時から現在に至るまで「富裕層のための高級車」を生産・販売しており、ヒットラーはそれを問題にしていました。

自らは、メルセデスに乗りつつ、ドイツ国民には手ごろで丈夫なボディを持つ、空冷式の自動車を作らせるよう、命令したのです。

それに応えたのが、スポーツカーで有名な フェルディナント・ポルシェ博士。

彼は大学を正式に出ているわけではありませんが、独学でエンジンを開発し、ベンツのエンジンや航空機のエンジンを開発していきます。

オーストリア人のこの秀才を見初めたのが、アドルフ・ヒトラーであり、ヒトラー自身も大変な勉強家で聡明であったことから、扱いやすい空冷式(水冷の場合、水が必要になる)、夏も冬も荒地でも走行可能で、戦場にも使える頑丈なシャーシとボディを厳命します。

そして、最後が1,000マルク(ライヒスマルク=帝国マルク)で買える、という条件でした。

当時はオペルや、アメリカのフォード、GMなど様々な自動車会社が高級乗用車を生産・販売していましたが、1,000マルクの購入価格は破格の条件。

現在の日本円では、85万円といったところですから、軽乗用車1台にも満たない価格です。

それを、ポルシェ博士はやり遂げます。

それが「かぶとむし」と言われたVWビートルでした。

初代ビートルは、990マルクで販売され、爆発的に売れていきます。

その後、第二次大戦に敗退し、VW社は西ドイツ国有となりましたが、最後にはメキシコでビートルを生産し、その数2,152万台という途方もない生産・販売を行ったことで、この会社が西ドイツ、現ドイツの経済復興と今日の経済基盤を作った、と賞賛されているのです。

歴史的に大変な悪行で知られるヒットラーですが、実は彼とポルシェ氏の2人がいなければ、今日のドイツと世界のモータリゼーションは存在しなかった、といっても過言ではありません。

新車価格、全国統一「47万円」!スズキが起こした軽乗用車革命

舞台は代わって、日本の自動車会社に移ります。

静岡県に本拠地がある、スズキ。

価格設定でバックオーダーの山を築き、会社を世界的なブランドにしたきっかけは「アルト」という小さな車でした。

スズキアルト47万円!というキャッチコピーで、軽自動車550cc(1979年当時)の「商用車」を、敢えて販売したのです。

軽乗用車は現在「5ナンバー」と「4ナンバー」に分かれており、4ナンバーの場合は、後席シートの背もたれが固定され、後席左右の窓にはつっかえ棒がはめられており、あくまでも商用仕様の形態が取られました。

逆に言えば、後席に人を乗せずに買い物の荷物を乗せたり、小さな子供を乗せるだけならば、軽商用バンでも十分に売れ、車体を赤や黄色、青や緑といったカラフルなものを用意すれば、主婦層が喜ぶだろう…という目論見が、スズキにはありました。

1979年に初代アルトが販売されてから、1989年の10年目には累計200万台が販売され、2000年にはインド工場でも生産が開始されます。

現在のスズキは、インドで圧倒的なシェアを握りますが、その原点はこのアルトであり、如何に安く合理的に販売できるか、修理しやすい車に仕上げるか、という命題に応えたのが、このアルトでした。

初代アルトを生産号令した鈴木修社長(現会長)は、一台45万円の計画を、2万円アップで販売せざるを得ないこと以外は、その後の会社の成長のきっかけを作った、偉大な経営者、と呼ばれているのも頷けるのではないでしょうか。

ちなみに、2009年、アルトは累計1,000万台を販売達成。

ちょうど、初代から6代目のモデルにあたり、初代販売開始から30年目に当たっていたのです。

2014年、8代目のアルトがデビュー、そのローエンドの価格は84.8万円。

不思議なことですが、あのVWビートルの乗り出し価格同様であり、その訴求感は絶対と言えました。

軽自動車生産には、日産やホンダも大きく乗り出してきましたが、価格にこだわりを持ち、合理的なパッケージと終始しやすさ、燃費の良さなどを兼ね備えた哲学は、やはりスズキの一貫した考え方、と言えるわけです。

価格を安く、シンプルな車を作り、失敗したGM

世界で初めて「大量生産化」を実現した、フォードは「T型」で、世界市場を独占する勢いでした。

T型は1908年に製造開始され、1913年にベルトコンベアによる大量生産を可能にしました。

この時代、自動車の大きさはどの会社もほとんど変わらなかったのですが、1920年代から40年代にかけて、乗用車は幌ではなく、しっかりとしたボディを持つようになります。

広い国土を持つアメリカならではの、耐久性では世界に比類持つものはなかったのです。

やがて、150社あった自動車生産会社は、3つのグループに集約され、GM、フォード、クライスラーのビッグ3の時代に入ります。

1985年、GM(ゼネラル・モーターズ)の会長、ロジャー・スミスの発表は全米を驚愕させました。

「新ブランド、サターンを発表する」

これは、GM史上最も新しいディヴィジョンであり(GMは ポンティアック や キャデラック などの会社ブランドの寄せ集めで生まれた会社であり、1911年にシボレーを立ち上げたあと、しばらく新しい乗用車ブランドを作ったことはなかった)、それも、GM史上画期的なことでした。

日本では、当たり前になっている「メーカーとディーラー」の専属契約ですが、アメリカでは特定のメーカーとしか付き合いのないディーラーはほとんど見当たりません。

例えて言うなら、国産車全てを販売する、といったスタンスであり、日本車が売れてきたと思えば、日本車を扱い、韓国車が売れ行きを伸ばし始めたら、韓国車を扱う、といった具合なのです。

GMは生産部門をテネシー州に配置し、サターン独自の販売網を構築します。

ですが、問題は山積していました。

まずは、経営者が素人集団だったこと、つまり新しいディヴィジョンに対して、経営陣の理解が不足していました。

売れていたのはSUVであり、GMの場合はGMCブランドだったのです。

そのため、新たなブランド開発に臆病な経営陣がいたこと、燃費が良くスモールサイズの日本車を上回る技術力が培われなかったこと、そして、労働組合が反発したことにあります。

GMの労働組合は、自分たちの企業年金の財源が、サターンに注ぎ込まれると感じ、猛反対します。

結局、サターンは2010年に廃止されますが、GMはその1年前に「経営破綻」してしまうのです。

時の大統領、バラク・オバマは総額500億ドルの公的資金を投入し、なんとか再生にこぎつけるしかありませんでした。

モノの値段は、理由があって決まる。決まらないとすれば、モノが悪いか作る人たちが悪い

アドルフ・ヒトラーは稀有の政治家であり、カリスマと行動力は他を圧倒していました。 無論、外道を行った罪は永遠に免れることはないでしょう。 ですが、ポルシェ博士の才能を認め、その能力を引き出し、今のVWの礎としたのはまぎれもない事実です。 静岡の2輪、4輪メーカー、スズキは代々オーナーの鈴木家から経営トップが輩出されてきました。 ですが、そのやり方は非常に緻密であり、むやみに車台(自動車のシャーシ部分)の種類を増やさず、ボディーの車種を増やすことで、合理的な経営を行ってきました。 一方で、GMやフォードは、会社が大きくなりすぎた弊害が目立ち、技術者の力と経営の力、販売の力が各々バラバラに動いてしまっていました。 乗用車は一度購入すれば、数年は買い換えないもの。 だからこそ、その価格には技術力、イメージ力(ブランド)、販売力などが結集しなければなりません。 走り、燃費、乗り心地、かっこよさ、中古販売金額…様々な要素を勘案して、300万円で年間10万台売れる、こうした計算式を念入りに行うのが乗用車メーカーです。 モノの値段が決められない会社とは、早晩市場から退出を余儀なくされることを、誰もが知っておく必要があるのです。

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