お金がない時の過ごし方!『結局は趣味を貫く?』

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~趣味っていろいろ~

好きなことをとやかく言うことは絶対にいけません。
その人の個性ですから、これは世界のルールですよね。
私は絵を描くのが好きです。しかも鉛筆を使ったやりかたです。
この話しは鉛筆画を書きましょうというのではありません。
どんなにお金がなくっても描き続けることが出来るという例で、つまり趣味が一番お金がかからないといいたいだけなのです。
趣味にはお金がかかりそうなものがいっぱいあります。
競馬が好き。
ギャンブル全般が好き。
ゴルフが好き。
クルージングで世界旅行が好き。
スポーツカーにのってスピードウェイでレースするのが好き。
ダイビングが好き。
温泉旅行が好き。
外食するのが好き。
何でもあります。

しかし、私にとって趣味とは、「その事をすることで、誰かに喜ばれるということを見据えたもの」としている点で上記とは違います。
皆さんの趣味は自分が楽しいかどうかなだけです。私は自分が楽しむにはそれに関わる人が楽しんでいなければ楽しめないと思ってしまうのです。
いくら自分がやって自分が楽しむかをしたとしても、相手がいたり、誰かの手を介して自分に到達したり、というものである以上やはり対人を否定した、
自分だけよければいいという方程式はありえないと考えてしまうのです。

もし、南極に一人で移住して一生を過ごすんだといった場合に、自分はペンギンの生態を見続けるのだというのが趣味だというのでしたら、
それはペンギンと対話すればいいのですから人に何かを与える必要はなくなります。
記録として残したとしてもその人の墓に一緒に埋めてしまえば、本望でしょう。
ただ、ペンギンを否定したやり方では駄目なだけです。

結局何かをするに当たって、例え趣味と言ったとしても「自分対人」の比率で1:9から9:1の計算は必ず成立し、10:0はありえないと考えるのです。

~何故鉛筆画?~

たくさん絵を描く方法がある中で、鉛筆を使う手法は最近ということが挙げられます。
昔はデッサンの下書きとして使っていました。
鉛筆の歴史はそれなりに古いのですが、やはり焼けた炭を使ったり、黒炭や鉛といった直に使うケースが多かったようです。
紙自体がやはり問題で、今のような滑らかさがなく、画用紙をもっと雑にしたざらざらと凹凸の多い粗野なものでしたから。
其の上に書くには今のような鉛筆では不適切でした。
それが工場での生産に紙の歴史が移った近代化から急激に変わり、万年筆のようなインク以外のペンが求められてきました。
紙が高価だったために文字を消して使いたいという要望からです。
其の頃から登場したのが鉛筆でした。
優れたそれは、文字を書く、図を描く、下絵を描くという消すことを目的とした用途で発展し、1H(ハード)から9H(ハード)
そしてF(ファーム)、HB、B(ブラック)から10B(ブラック)と幅広く作られたのです。
紙の質がかなり向上し、再生でも滑らかさが充実してきた現代社会で、まるで白黒写真のような仕上がりで描かれた絵が出てきました。
本物そっくりに見える其の絵の分野は「精密鉛筆画」といいます。
今までも絵の具を使った写実で、本物のように描く絵画というものはありました。
しかし、写真で済むものとしてあまり発達していきませんでした。需要がないですし、絵のよさはそっくりに描くということではないがために必然的な結果だったかも知れません。
芸術としての絵は似ている以上が必要だったのですから。
そんな中、誰もが使い、しかも身近なものであるにもかかわらず、下書きで、本番はカラーの絵の具や油ペイントのはずが、それを押しのけて主役になりえてしまった。
たった鉛筆一本で相当な驚きを与える結果を生み出したのです。


この、身近なものというコンセプトこそ、「お金のないこと」に近い部分なのです。

~コンセプトはアイデアから持ち味を最大限に生かす~

お金がないということで人は行動を自粛します。
挑戦したいことも止めて、今までの生活をとにかく続けられるだけでよいとかなり保守的に自己を守ろうとしてしまいます。
考えてみてください。
お金に左右されずに生きていくことは本当に出来ないものなのでしょうか?
日本画で有名な北斎。
絵画で成功した山下清さん。
お笑いから転じたジミー大西さん。
大金持ちのイメージがある人はいるでしょうか?
画家は皆なくなってから財を築く人ばかりです。
そして、お金が欲しくて描いている人はあまりいません。というより絵を描くような人でそれを目指す人はそういません。
外野がやれ1億だの国宝だのといって騒ぐだけで、当の本人にとってはさほど重要なものではないのです。
鉛筆画の最大のよさはその人自身が表したい線、その線が濃いか薄いかの二者択一でその紙の上を滑らしていくことにあります。
そしてその結果がどう表せるのかという点につきます。
お金がないということで、ないならどう動くのか、どこまで動けるのか、もしいくらかでもあったらどう動けるのか何が出来るのか?
そういう一歩一歩の自問自答と重なる点で非常に貧しい位置から最大限の喜びをもたらそうという事に尽きるのです。
鉛筆だけあればその描くことで見てくれる人に感動を与えられる。感動を与えられて評価されれば自分もうれしい。
お金がないことで、自分は何ができるのか。動く体があれば人に対して手伝いも出来れば、優しい声をかける事だってできる。
鉛筆という限定した武器しかない私以上に、可能性がいっぱいあるとさえいえます。

~趣味を生かす~

先ほどの趣味もそうなのです。
自分を満足させたいのなら相手をどれだけ持ち上げるかで帰ってくるものも倍になります。
ゴルフで自分ばかり勝っていたら相手達は誰も誘ってくれなくなります。いつも持ち上げてばかりでは自分も楽しくありません。
ギャンブルもしかりです。ただし、いくら相手があるいは開催しているのが人であってもお金のやり取りだけですから気をつけたいですけれど、
よっぽど親しくなってVIP席に入るぐらいにならなければ、この私が伝えたいようなことにはならないと思います。
もしそうではない位置で私のいう相手を喜ばせるという手法をとったならば、単に負けをしみを言っているに過ぎなくなります。
私の場合には自分が3、相手が7くらいで展開しています。
それが成功かどうかはわかりません。ただそれで満足しているのです。
もし私がお金がなかったとしても常に3:7で物事を捉えると思います。
そのおかげか、今に至るまで紙も鉛筆も自分で買ったことがありません。消しゴムですらです。
たかが文房具です。買えないのではありません。
自宅にあったBの鉛筆で描いていた絵を気に入り人が欲しいといってきました。
それから、描いていくうちに、こういう発見があり、今の腕ではこういう問題があるというと、それを解決してくれる人が現れました。
たくさん描ければ腕が上がるというのであれば課題を多く出してくれます。
課題の中で注意点、見るべき所を修復したらといえば、ハードルをあげた別の絵を描いて欲しいといってきます。
紙に限界がある、鉛筆の種類が少ないと濃くかけないといえばそれに応えたいという人が集まってくるようになりました。
やがて鉛筆がHや6Bのように種類が増え、練り消しが増え、より滑らかな紙まで届くようになってきました。
気に入った絵を地方に送ることがあります。その結果、要求もしていないのに、送る時に必要な切手を相当額で送ってくださる人も現れました。
たった、そうした趣味がもたらすもの、それは自分への喜びだけではない、その相手への喜びに響いた結果なのだと心からおもっています。
欲しいといったことはなく、その問題点を克服するために不便を武器に今もっているもので最大限出すように努めているのだというだけなのです。

お金がないということは本当に考えが萎縮するものです。
自分しか見えなくなるからだと、お金のなかった時代の自分を思い返すと非常に同情します。
だからこそ、なんとかそんな位置から脱却して前に進んで欲しいと思います。
お金をかける趣味であってもお金がないながら出来る趣味でも、その先に待ってるものを見据えて励んで欲しいです。
私はその先には幸わせ(紙泡世)しかないと思っています。方丈記のようですね。

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