自由人とは一体何?「勝手気ままに生きる人が真の自由人ではない」

勝手気ままに生きる人が真の自由人ではない。

人生に悩み、時には生き方を模索し、自分を押さえつけるものや抑制するものに反発し抵抗する時があります。
作家や作詞家はそうした人間が自然にもつ感情や考えを素直に表現した人が多いです。

中でも尾崎豊の代表曲、卒業のように若者が大人になる時に通過する生きる哲学を真っ向から書いたものは有名です。
テーマは抑圧と解放ということに尽きるかとおもいます。

これは自由か奴隷かといったことにも通じるのでしょう。

ゆえに人は常に自由でいたいと、せめて精神面では解放されていたいと思うところ。
しかし、世の中にはあらゆる面で自由である人を自由人と呼んでいる風潮があります。

人は真似をすることで前に進む

自由人を人は勝手きままに生きる人のことを指す場合が多いです。
何者にも強要されずに自分の意思で決めていく。

これは未来の選択においてその運命を自分で切り開くというものです。
しかし、考えてみると、生まれてきた瞬間から人は生かされ続けているものです。

空気や水は自然にあるものですがその他の物は奪うことをしない限り親や保護者にかわる生活支援者が与え続けてきたものと言えます。

教育においても教科書をじっと見ていたら読めるようになったとか、
持っているお金を使って買い物をするのに全部渡してお釣りが出ることを知らなかったといった状況はありえないでしょう。q

義務教育が終わったとしても進むべき道に行く場合にであってもそれは誰かが歩んでいる道の後についていっているに過ぎないのです。
まねをしない限り進むことが出来ないのが人間ですし生き物です。

勝手に行くというのは、行く方向だけを選択しているにすぎない。
つまり選択の自由なだけで、人が自由になるということは考えづらいです。

ストレス無く生きることが自由人

もし自由な人ということが文字通りなのでしたらおそらくその人は人ではなく死者という事になるはずです。

前述のとおり人間社会において人は自由にはなれない、必ず誰かがやったことを通らなければ生活できないからです。

食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。そうしたことが自由人なのでしょうか?
それは無人島にでも行った時に仕方なくやる状態なだけで、人間がすることではありません。

社会を取り巻くモラルやルールの中で、誰にも強制されることなく、決断しながら自分の考えどおりに進む人が自由人。
しかも、ストレスを感じないでやれたならば真の自由人といえるでしょう。

ストレスとは抑制された時の起こる心理状態です。

その抑圧すら自分の都合のいい解釈でプラスに転じてしまえればストレス知らずになります。

顧客から言われるクレーム。その時点ではストレスです。

しかし、この顧客の不満度合いを解消するにはどうしたらいいのだろうか、
それを解消した上でもっと満足させるにはどうしたら良いだろうかと考え方をもう一歩先に進ませます。

単なる精神論ではなく、目の前にいる顧客をファンに取り込ませることに成功できたのならばもっと自分の仕事が向上するだろうと考えるのです。

考え方は訓練で手に入ります

自由人は常に前向きでいるべきです。
後退は不自由をもたらすだけです。

反省をしている暇があったならば改善の道を進む。
本を読んでも意見を聞いても参考にすべき所と自分のエッセンスで改良することで独自性をもたらそうとします。

影響や感化されてもその通りな方法は自分には合っていないで必ず戸惑い停滞するとわかっているのが自由人の考え方です。
だから、行動しながら常に自分に合っているかどうかを見定めているのです。

丁度洋服の試着に似ています。
合っていれば着る、飽きれば脱ぐ。
その決断と判断の連続が自由人の考え方で訓練なのです。

お金

自由人にも数は少ないながら制約はあります。
最初に伝えた人間社会。そこで暮す以上必要なお金です。

このお金が無いと自由は手に入りません。
保護を受けるからです。

保護の範囲は丁度水槽と動物園と自然動物園ぐらいの差があります。
人間は地球と言う動物園の中でしか生きられません。

生活を保護された人は地球という動物園をもっとミニマムにした水槽ぐらいの範囲で暮すことを余儀なくされます。
生命を全うするだけの最低限必要な暮らしです。

その中でも水槽から出ていけるチャンスは大いにあります。

たとえば画家のように何か描く才能があるならば世の中に出て行けますし、歌でも文章でも何でもあります。
才能と言うその個人にしか現すことの出来ない個性をもって自由に生きると言う方法です。

そしてその事でお金が入ることになれば更に飛躍的に自由になれることでしょう。
つまり、生きていくことで制限がかからない程度のお金が無ければ自由にはなれないということです。

時間

もう一つの制約。
寿命が代表する時間です。
どんなに頑張ってもその人の一日は24時間です。

時計をいじっても25時間にはなりませんし23時間にもなりません。
決まった時間と言うことでみれば制約です。
自由ではありません。

これは考え方ともリンクしてしまうのですが、24時間という概念を一生という考え方で捕らえている人が多いはずです。
一種のゆとり、余裕ともいえる使い方です。

計画性が無いのではないのですが、自分が満足した人生を送れているのかと言う問いかけが概念のまず先頭にくるのです。
これをすることで一生の時間を楽しく過ごすことができているか、自分を成長させているのかという実感を求めた過ごし方をしているのです。

運命は誰かを勇気付けるものでなければならない

老人の孤独死という現代が象徴する。自由。 最初は誰かの手を借りて生まれてきてもいざ死に際になったら見取る人もいない。 遺体を処理するという作業だけが残る。 生き続けた後どう死んでいくのかは個人の自由と言うことで、考えさせられるシーンです。 誰かに頼まれて孤独死したわけでもありませんからとやかく周りが言うべきではありません。 しかし、この状況を見た人の心の中に何か引っ掛かりが出てきてしまうのは何故なのでしょうか? 運命を選択したのは個人で、その人の自由がそうさせたものなのに、本来であれば賞賛すべきことであり、また 生きている間にはその自由人の生き方にあこがれていたにも関わらずです。 それは先人として進んだ証を後世に残す意味で勇気付けるものでなければならないと言えます。 種の保存とは、同種族の繁栄につながるバトンをつなぐものです。 見えざる意思が遺伝子として続いていくこと、人間におきかえるならば、その意思を引き継ぐと言うことです。 他人であっても、人として生きてきたことを誇りに思うような結果を見せることでまた次の世代も生きていこうと 希望を与えられるがゆえに続いていくものなのです。 自由人はそうした手本から逸脱した人が多いと世の中では認められない孤立した人種と非難され続けるだけに終わってしまいます。

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