社会の底辺と呼ばれるニート「生きる目的が見出せないタイプとは?」

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社会悪?罪悪?パッとした手本が無いだけ。

昔は書生というずいぶん気楽な身分がありました。

親元から離れ知り合いの所に下宿して悶々とした時期を過ごしていた若者。

時代が異なってもいわゆる「モラトリアム」や「シンデレラ症候群」なる時期はどんな時にもあります。

大人になるとは何なのか、あるいは将来をどのように生きて過ごしていけば良いのか、自分の真価が問われるからです。
現代において、社会悪といわれる「ニート」とは一体何なのか、あるいは本当に悪いものなのか?

書生とは大違い

昔の若者と比べると書生まもっと志があったようです。
まずは学生である点です。

時間は自由かつ十分ありますが、猶予期間の時間だけですから制限付です。
学校を卒業もしくは止めるまでの間です。

そして、学校は技術習得というよりも哲学を学ぶ場としていたのが殆どです。
何になろう、どうやって一生を終えようという生きる哲学を考えながら時間を過ごす。

仲間とはなし、本を読み、大人の意見を聞くなど哲学のための情報をたくさん仕入れるために学生をしていた。
それから方向が決まると必死になってそのための技術習得という事になるわけです。

ニートは単なるダラケ

学生としてモラトリアム時期を経過させながらやりたいこと、そしてやれることを探し、将来のために精進するなどという考えはありません。
そればかりか、学生にすらならず、また生計を立てるための仕事すら行わないのがニートです。

書生でも単に学費や生活費を出してもらうばかりか、丁稚として下働きや雑用などをこなし、時にはアルバイトすらしていたものでした。

大きな違いはまさにその部分で、生計は実は身近な親や家族、親戚や身近な人からの援助で生きていると言うことです。

しかも、自分の考えというより、意見だけはしっかり持っている点に関しては書生と共通です。

書生で生きている間は口応えなどはありえない風潮とニートであっても生きる権利として当然である風潮が対照的です。

欧米の個人主義または自由の権利を哲学として日本の国にいれてきたゆがんだ弊害なのかもしれません。
社会ではそうした当然の権利を主張する前に、すべきことをするという自立を需要視します。

そこから逸脱した場合には権利を振りかざすことはためらわれるのです。
つまり、生きる義務を果たすべしということです。

よって書生のようにあるいは現代の社会人のように生計を立ててあるいは立てるべくしてその場所に身を置いている人種とは全く異なっているのです。

ここが社会から白い目で見られる由縁なのです。

隠れニートもいるのです。

学校の勉強で得意な人と苦手な人がいます。

成績も5を取る人もいれば1になってしまう人もいます。
しかし、上も下も少人数です。

体育や音楽でもそうです。

上手に出来る人、やることが可能な人、携わることぐらいは可能な人、全く関われない人。

ざっと要約すると上記でパーセントが分かれるかと思いいます。
上手に出来る人も全く関われない人も少人数で、やはり中間層が大多数になります。

これが社会の構造です。
ニートはその最下位に位置する人であるといわれます。

しかし、実際にはどこの層にいてもニートになってしまう要素はたくさんあると言えます。
実は、潜在的ニートです。

人は精神的に辛くなると落ち込みます。本当に駄目だとなった場合立ち上がれずにその場で突っ伏してしまうでしょう。

鬱というものです。
誰しもが持っていることで、普通であれば時間をかけてまた前に向くようになります。

しかしそうならないで、社会から逸脱するケースがあるのです。
それがニートに始まりです。

ようやく辛い時期から立ち直ったと思ってもまた再び気持ちが落ち込んでしまう。その繰り返しで、いくらカウンセリングを受けても
心の傷が回復しない。そうした場合には何はともあれ生きていくだけで精一杯になってしまうものです。

また、極度な欝ではなくとも、疲れていたり、病気や怪我で身動きが取れなくなってしまう短期的な時期ですら、ニートの入り口に立ってしまうものです。

これは、その生活に慣れてきて、居心地がよくなってしまうからです。

本来誰しも、お金に余裕があって食べるのに苦労しなければわざわざ働きたいとは思わないものです。

これも偏差値的なものですが、大いに働くと言う人と全く働くことをしないというパーセンテージをとれば極端に少ないはずです。

多いのは仕方ないから働くという人々です。

ですから、本来のどうせだったら働かないでという大多数の人が象徴するように、ニートになる要素が備わっていると言うことです。

どこかでうらやましいと思う部分から非難しているのかもしれません。

そんなニートでも悪いのではありません。

高校中退ニート、社会人から転落のニート。
世の中には相当数のニートがいます。

その中で、なるべくしてなった人も多々います。
それは目的が見出せないタイプの人々です。

ニートと言えば一括りにされがちですが、目指すべきものが見当たらなければ進みようが無い。

書生は環境がそうさせ、その中で見出せる人が成っていったといえます。

見出せない人は親方や別の形で一生下働きなどをさせられたことでしょう。
働かざるは食うべからずです。

しかし、現代はそうまではしません。
虐待といわれますから。

見出せないのは、お手本になる人に出会えない、あるいはこころに響かない、自分もなりたいと思うことも無く、まわりから
何時になったら出来るようになるのだ、早く仕事をみつけろ、将来はどうするのだという、具体的なことを決めさせようという台詞しか聞こえてきません。

「無い」ということがその人たちにはわからないのです。あるいは「ありえない」のです。
丁度スポーツ選手が幼稚園児に打てるから打てと指示を出しているのと変わりません。

実際にはそうしたことはありえないことですが、現にそういう事になっているからニートの矛先が定まっていないのです。

前に進みたくても進めないから意見を言って抵抗するのです。

彼らは彼らの出来ることを見つけさせるべき

目標や目的が見出せない人は、素直に人を喜ばせることをすればいい。

これだけを実行させればいいのです。
園児がまずやったことは何か?

それは先生が教えたことを親に見せて褒められることです。

褒めてもらいたいことは何でもやるのが園児です。

その気持ちをもって育ってきた人であれば、その心は捨てきれず大人になっても持っているものです。

ネットでコメントを書く彼ら。非難には非難の応酬ですが、褒められればまた褒められることをしたいと思い半ばストーカー並のコメントをぶつけてくるものです。

それを、今度は相手にもして差し上げろと教え込めばいいだけなのです。

何も取り柄のない人が実は誰もが出来ない、「人を褒める」ということそのことで「人を喜ばせる」ことが展開されていくのです。

リハビリでもなければボランティアでもない

ゆとりのある人はボランティアになれるものです。 心にわだかまりが無い人は、辛かったことの体験を通して人を救ってあげたいと思うからです。 ニートはそういう人のボランティアを待っているのではありません。 またカウンセリングを受けて心のリハビリを待っているのでもありません。 今こうして生きていることに必死であり、単にやり方がわからないと言うことなのです。 それならば、家庭教師、ノウハウをもった指導者がやり方を教えていくことで自分の進むべき道が開けてくるのではと思います。

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