お正月にお金を使わないで過ごす方法


お正月も知らないとその年もお金を使いまくってしまう。

散財をしないために上手にお金を使わずに過ごしたい正月です。

一年の最初を気持ちよくスタートさせたい。誰もが思うことでしょう。

“今年こそはお金を貯めるぞ”とか“夢の実現!成功者になるんだ”といった計画実現のスローガンも打ち立てやすいものです。

その中で、これならできると思いながら進めていった結果失敗している、そうした間違った方針にのっとって過ごしてしまうことも案外多いはずです。

その進めていくきっかけでお金をかけてお正月を過ごしている人が多いのではないでしょうか?

実はお正月はお金をかけてはいけないものなのです。

お金をかけない正月のためにおさらいを

お正月を三が日という言い方をします。

三日間の新年を祝賀するイベントのことです。

それとは別に1/1~1/7までの間や1/15までを正月の締めくくりとする考え方もあります。
門松が取れる期間と考えらえている方法です。

門松とは日本の年神様がやってくるための依り代と呼ばれる印です。
ゆえになくてはならない大切なものです。

貧富に関わらず等しく神様がやってくるのが日本ですから、みな必ず松を飾ります。
簡単な松の枝のみの家や、紙に書いたもの、さらには立派な角きりをされた松まで様々です。

関東では1/7に七草粥とあわせてその門松の飾りをとります。

関西は1/15に行います。

様々に飾られた松はどんと焼きという形であるいは神社へ返すことで神の帰還を見送ります。

今行われているお正月の風習は江戸時代のやり方が主体といわれています。
徳川家康が亡くなった時期を考慮して前倒しに15日や7日にしたともいわれています。

いずれにせよ、それが形的には年神様への信仰という厳かな考えを踏襲してきていても、だんだんと現代にふさわしいものへ変化しました。

特に意味合い的には家族や親せきとの団欒を充実させるところに重きが置かれました。

神様だけの特別な信仰日だけではなく、家族を思う日という変化にうつりました。

年に何回かしか会えないそうした家系の絆を確かめ合う時間はかけがいのないものです。

その際に使われるお金とは本来であれば親族の再会を祝した縁という意味合いでもあり、またそれを可能せしめた神へのお礼であるわけです。

当然、質素倹約の料理ではなく、だれもが平等に楽しむための食事、そしてそれを実現しうる給仕というものになります。

そもそもお正月はお金をつかわない風習があった

お正月はお金を使う暇がないという考え方があります。

自宅でふるまわれる料理はすでに仕入れを済ませ、調理も終わらせていまっています。
これ以上の出費はありえません。

また食器を使うにしても箸を使いまわすという風習もその一つの現れです。
お皿も最低限の物しか使わないというものです。

この節約じみた発想の由来は水を使うことを避けさせるためです。

門松の目印でやってきた神様は、水を使われることをきらいます。

自宅で使われる水はトイレの手洗いやよほど汚れた時の布巾でつかう水程度でした。

大量に水を使うこと、特に炊事やお風呂といった場面は、せっかく家に招き入れた神をその使われる水で流されてしまいかねないということがあるからです。

そうした言い伝えに火も同じことが言えます。

昔ならば薪をくべて調理する方法です。

そのために、薪をわざわざ拾いに行く作業が出てしまいます。

それはすでに仕事に値する行動です。

やってきた神を奉る姿ではありません。そういうことを終わらせて、フリーな状態という姿勢をみせて迎えなければならないからです。

また火を煌々と炊いて食事を作るということも、この時期の神は嫌がるとも言い伝えられています。

仕事をしてはならない、水や火を使ってはならないことがお金など不要という発想にあったのです。

お正月はお金をつかわない風習はこんな例もあり

それ以外にお正月にお金を使わないことがあります。

争いごとをしないというものです。

外に行けば様々な人と合います。その時意見の相違があればいい争いも起こりがちです。

ちょっとしたことで起こるトラブルは最終的には和解ということのために金品で決着をつけることも少なからずあるものです。

それ以前に外に出て他人と触れ合うという場面自体にお金もかかってくるものです。

“争いごとをしない。”“できるだけ平穏に過ごす。”そのためには家で静かに過ごすべきという考え方が正月の基本でありました。

さらに自宅においては静かに過ごすために仕事をしないということがあります。

特に掃除というものです。

これは仕事という考え方から神を招き入れる姿勢ではないということ以外に、掃くという行為そのものが、外へ掃きだすという意味合いからせっかく来た福の神を追い出すという結果になることに直結します。

ゆえに掃除そのものすら三が日は庭先であってもしないという風習が残っているのです。

また、大掃除はそうしたことの無いように準備万端で神をそして親族を迎え入れるという行為を意味するわけです。

現代ではこの大掃除によって不要なものや必要なものの把握ということにもつながるといわれています。

無駄をなくす掃除術でお正月を迎える

いらないものを捨てるという発想は特にメディアでも取りだたされています。

その不要なものを片付けて家をすっきりさせることでお金が入ってきやすくなるという考え方です。

その第一の理由はその人自身の頭の中を整理できるということにつきます。

大掃除で家の中にあるものを整理、処分します。

その結果、自分には何が必要で何が不要なのかが把握できてくるものです。

当時買ったはずの電球が1つに限らずいくつも違う場所から出てきたといった小さなことも多々あるはずです。

あるいは1年たって使わなもの、着ない服ということも本当に当たり前のように出てくるものです。

しかし、そうした使っていないものはどう考えても今後出番はありません。

全くないことはないにせよ、その来るべき時のために倉庫代を払う要領で箪笥に物置にしまっていてはいくら保管庫があってもありなくなります。

保管庫は実際に売られている店におくべきものです。必要になったならば現金で引き落としてくればいいことです。

また、こういう考え方もあります。

大掃除をしたことで、計画を立てた購買が可能になり、来年一年を迎えるということになるのです。

まだ使えるもの、どうしても変えなければならないものの把握は無駄遣いを防ぐうえでも必要なことです。

お金をかけずにというのは無駄なものを買い続けないという根本的な方法なのです。

もし把握していなければ、電球が切れていたがために買いに行って、掃除をした際に以前買ったものが出てくるといった失態はあり得ないのです。

新たに障子を張る場合なども同じです。まだ残っている障子を確認できないまま新しいものを買っていてはいくら節約してもその効果は半減するばかりです。

一見すると関係なさそうなこともお正月にお金をかけない方法につながる

昨年の感謝と今年一年の幸を祈願するお正月の行事は何かとお金がかかりがちです。

特に年賀、お賽銭、奉納といった神事・習慣事に金はつきものですし親ならばお年玉という風習もお金に関わることです。喧嘩や

お年玉はそもそも年神様から新年に授かる新しい魂の象徴という考え方に起因しています。

数え年というものの年齢の数え方がそこにあり、その年はまた一つ魂という年を経るという意味です。
ゆえにお年玉(お年魂)なのです。

実際には年神様に奉納してある丸餅いわゆる鏡餅をいただくことにありました。

今でこそもちは誰もが手に入れられるものですが昔は米をとることも、精米することも大変で、さらにそれを杵と臼で突くことは容易ではありませんでした。

米を蒸すということすら大変だったからです。

そうした背景のなか年神様の年魂をもらうというのは本当に価値のある“プライスレス”だったことでしょう。

やがて慣習化してその餅を用意できた村の長が村人に、先輩者が後輩に、あるいは主人が家来に、ひいては父親が子供たちにという流れになったわけです。

とうぜん、餅が取れない年もあったでしょう。あるいはもち以上に魂の価値と同じくらい高価なものもあったことでしょう。

そうした流れの中でいつしかお金という形に年魂がかわって今のスタイルになったわけです。

賽銭も現金ではなかった。

正月はお金をかけたくてもかけられない時代が多い。

金銭はそうした場面でのやり取りで交わされるものであった時代です。
交換という発想です。それは今日でも同じなわけです。

しかし、神仏事においては、お金ではなく農作物やお米あるいは酒という食物が主立っていました。
つまり、賽銭自体はお金を渡すのではなくそうした奉納物で神に祈願するということだったのです。

いつしかそれが賽銭という考え方に統一されて、お金を払うことになりました。

本来の意味はお供えをし感謝の意味を神に伝えるということです。

お金を渡してお願いをすることではないもです。

もし、お金をかけないでというテーマでこの賽銭を渡さないのでしたならばそれは過ちです。

お金を自分の幸福の一部の表れとして神にお供えして感謝するということになるのでしたら、その人がお金をかけていないなといえる範囲で投げ入れればいいだけなのです。

かかるものはかかります

現代社会から逸脱しないかぎりお金の全くかからないお正月はありえません。 むしろ、お金をいくらかけたのかがステータスのような風潮もあるほどです。 子供達がお年玉の金額を自慢したり、テレビで大の大人がお年玉をいくらもらったという話をしてみたりです。 豪遊豪邸の紹介でお金をふんだんにつかったお正月の過ごし方を放送するたびに、そうした優雅さを鼓舞し見ている人にも歓喜させるようなことです。 それもこれも、経済を回すうえで、見えない景気の回復起爆を起こさせるきっかけなのだと思うばかりです。 普通の家庭であれば、それでもできるかぎりお金をかけない方法に守りにはいることです。 それは恥ずかしいことでも、あるいは豪華な正月を過ごす人との差をみじめに思うことでもありません。 身の丈にあったお正月を過ごす、そのためにもともとあった正月の意味を理解することがかかるものにはかかるが、かける必要性のない理由がわかるかとおもいます。 そして、どんな過ごし方をするよりも有意義で自慢の出来る一年スタートになると信じています。

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