家を建てたいがお金が足りない!お金を工面してまで家を建てるべきか?

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いつの時代でもマイホームは憧れます

若い世代でも人生一度きりなのでせめて自分の生きた証として家を建てたいという人は多いものです。

結婚をして子供ができたら家を建てる。

あるいは譲り受けた家だからきれいに建て替える。

様々な家にまつわる事情があることでしょう。

それでも大きな買い物ゆえ莫大なお金がかかってしまいます。

今手持ちのお金ではどうにもならないというのがのしかかる現実。

建てたはいいけどローン地獄が待っているなどたくさんの逃れられない現実の話を聞くと尻込みをしてしまいませんか?

これだけは把握して準備をしたいというポイントを4つだけご紹介します。

家を建ってたいけどお金がない

という場合、まずは家を建てるべきかどうかを検討しましょう。

家を建てる意味や目的が明確ではなければ建てること自体に苦痛が伴うだけになります。

建てた後も管理維持、あるいはローンということで呪縛という発想しか残らなくなります。

つまり嫌なのか嫌でないのかが最大のテーマであり苦労して出さえ建てたいと思えないとだめなのです。

家族が増えるからというよくある状況であっても、家賃の安いアパートやコーポ、集合住宅の他県や市町村が管理する団地ではだめなのかを話し合います。

見栄やステータスにこだわるのであれば、それ以上に生活の向上部分や教育でカバーできないかを考えるなど、持ち家がないことで生まれるメリットをできる限り考えつくすのです。

その結果やはり家を建てるべきだというのであれば建てるべきです。

しかし、住宅などは得てして殿様の御殿ではない限りすべて借家で十分というのが根底にあります。

理由はもともと日本の国土において権力者やお金のある、あるいは指導層と呼ばれる地域の長が所有権を有していました。

山や野原についてはその長や権力者たちが持っていたのですがかなりアバウトです。そこに人がいなければその山は価値がありません。

薪や山の恵み川の恵みがあっても人が分け入れなければただの山です。

人口が少ない分管理する側にとって管理しやすい平地や田畑のみに人を集める。その土地が所有者という発想をうみました。

また、明治以降に今の持家、所有の土地という概念ができました。

江戸から続く古い封建制の所有権をその場所の労働力によって分配され、それぞれの持ち分ということで後々の代へと継承されていったわけです。

つまり、殿様や金持ち以外は貸家というのが一般だったのです。

そればかりか、江戸の旧家を見ても参勤交代や家替えで大名でさえ家々を点々とさせられたほどです。

サラリーマンは持家ではなくもともとの誰かの家を建て直したり中古としてあてがわれたということです。

その時代はそうだったということを主張するかもしれませんが、今の時代でも家そのものの意義は財産所有権を除けば江戸時代とさして変わらないと思うべきなのです。

スタートラインを間違えないようにしましょう。

お金を工面しておおぎなってまで家を建てるべきか?

先ほどの話はお金がないという視点から価値をお金にこだわらせないということでまとめました。

次は家を建てることが決まってからの話です。

いってみたら、節約や条件などの整理という部分です。

こんな家がいい、あんな家がいいと理想やその家に対する夢はどんどん広がっていきます。

最初はデザイナーによる注文受託。

次に建売としての一定の建築様式にのっとった新築。

さらには中古物件や建て替え物件。

段々と予算の範囲で現実が見えてくるものです。

まずは自分の家の家計を見直すことから始めます。

世帯主になる人が働いて、結果どのぐらいの年齢までに家が建てられるのか、あるいは家を建ててから何年でローン返済が可能なのかなどです。

配偶者の協力もあって建てる家ですが、近親者であるご両家の両親なども交えて考えるべき点です。

長男で家を継ぐ場合は外に家を建てることは難しいでしょうし、長女ということで婿養子という場合もあるでしょう。

通勤通学、あるいは日常の買い物の利便性。

すべてにおいてパーフェクトさを求めることは不可能です。

スタートラインに出た結論の中で何を目的にすべきかが結論付けてあればそのための目標をクリアーした物件でしかも予算の範囲ということもたやすいはずです。

家系をまもり家族の幸せだけを考えるならば、利便性以上に家の機能を充実させるべきです。

両親は今は2世帯で住まわなくともいずれは引き取ってということであれば親の住む家の敷地内に入ることはできないか?

あるいは親の家が手狭ならばそこを物件提供として出したうえで新築の見積もりを取ることだってできるはずです。

両家が新婚の家に厄介になることを嫌うようであるならば家族中心で十分機能できるだけの家で問題ないはずです。

豪華な、その地域の人が驚くだけで、だれも喜ばない、その土地にゆかりのあるものではない建築関連者と不動産屋が潤うような家は果たして意味があるのかといったことです。

建てた家を管理するときにお金がない

最終的にお金がないことで苦労するのが家の管理です。

そのために最初から安心して任せられる人をつかむことが大事なのです。

つまり3つ目のポイントは家に熟知した人と知り合うことです。

そんな不動産関係者や建築家は知らないということで大事な大きな買い物に妥協をしないでください。

車のレース考えてみましょう。

ヨーロッパなどで催されるF1レースはチーム自体が一生もののワークスタイルといいます。

スポンサーがお金を出すことで維持されるそのチームですが、車メーカーや関連メーカーはそのネジやバネに至るまで徹底した品質と管理のもと競技に使われます。

軽量さを追求し走行中の安定性も把握させられて車のボディーに付けられます。エンジンなどにおいてはライバル車で使われたものであった場合それを改良することをメーカーに押し付けたりするのは当然です。

しかもメンテナンスの情報は相手方のメーカーからきちんと情報をもらうなどプロとしてできることは徹底して行います。

危険というよりも結果を残すことに生命をかけるのがこのチームの存続意義だからです。

建築家においては低予算で安心安全な家づくりから、新技術による快適空間の実現と日本国憲法に違反しないことを前提に安全性をとことん追求した建築を目指すものです。

このプロとどれだけ対等に意見交換できるのかがカギです。

建てた家はプロであればあるほど自信を持って設計したものですから耐久や快適さに落ち度はないか気になるわけです。

レーサーの整備メンテナンスと変わりがありません。

今ある最高の技術でおこなった自分の携わった家というマシーンがどう機能しているのかを気にしない建築関係者はいません。

もし建てて終わりということならば建てない方がいいというプロだっています。

プロ故に弱さも知っています。完全なものはないのですから。

それだけに、家を管理していくことに、的確なアドバイスをしてくれるものなのです。

まして、毎回毎回、メンテナンスの度に高額なものを要求するようなあくどいプロなどもってのほかです。

これは所有者側の人付き合いに頼らざる負えないところですが、対等かつ本音で付き合うべくその建築家などの家に遊びに行くべきかと思います。

個人的に付き合うこと以上に信頼したいがゆえに家がどうなっているかを率直な意見として参考にすべきです。

経営であるならコンサルタントが建築家です。経営コンサルタントを行う人は実績よりも自身の会社を持っているかどうかを確認すべきです。

能書きが多いのに自分の会社は運営できていないなど信頼に値しないとはっきり線を引かなければすべてにおいて後々泣きを見るばかりです。

借りたものは何倍もの想いで返さなければならない

最後はお金がないのに家は建つはずがない。

必ず借りるか手に入れる方法があって建てることになる。

つまり信頼と信用の上で家が建っているということです。

信頼と信用とは銀行からのローンや金融機関からの融資です。

あるいは資産家であれば近親者からの援助です。

またくお金がないながら家を建てることが成功したというのは、払うべきときところへ払うことができたからにほかありません。

その払うべきところへ払った代償とは、自分自身の信頼と信用があったわけですから、何としてもそれをゆるぎないものにする。

借りたものは恩として返さなければなりません。

お金を返すという単純なことではなく、大切な想いを返していくという作業に向き続ける覚悟がなければだめだということにほかなりません。

商品としか見ないならば建築家も銀行も人も関係ないですよ

家を建てる具体的な作業は希望の間取りにできるのかどうかや、親身になって対応してくれるのだろうかといった相手側のスタンスに気を取られてしまうかもしれません。 さらに工事は安心して任せられるのかや建築費は予算内に収めてくれるのかといったことも気になるところです。 土地評価や間取り実勢地価、資産に関わることばかりに気を取られる人も多いでしょう。 はなっからお金を露出する発言の前に何のために家を建てるのか考えたいところですね。 そうではない人にとって家は単なるビジネスの商品でしかないことだと見抜くべきです。

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