「育児するのにお金がない?」言い訳ばかりの根性なしな親に物申す

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子供がいるけどお金がないから育てられない?この根性なしにいくじなし!

子供さんが生まれて大喜びの家庭。

最初は母乳やおしめなど、世話をすることが母ならばうれしい限りでしょう。

しかし、泣き止まない夜泣きや、家事などに追われててんてこ舞い、やがてプチノイローゼ気味になったり。

ふと現実から解放されたいと思うとき、だんだんとのしかかってくる今後の育児過程。

どうやったら立派に育てられるのか考えてみましょう。

育児事情

育児にはお金がどうしてもかかりますが、ない場合にはそだてられないのでしょうか?

母子ともに順調に育ちいよいよ公的機関へといった場合のことをざっとおさらいします。

幼稚園から大学までの19年間で親が子にかけてく教育費はいったいいくらになのでしょう。

仮に進む道がすべて国公立の場合には約1,000万円といわれます。

また私立で進む場合には約2,500万円。

今の家計ではとてもとても、ましてこんなに手のかかるのが子供を育てることなのかと泣きが入ってしまう。

しかし、現実に「いちいちノイローゼになどなっていられない」という気持ちに果たしてなるか?

それは別にして、お金がないから育児がちゃんとできないという風にネガティブには決してなってはいけません。

育児を考える前にご自身の生活環境あるは家庭環境面で何を目指しているのか考えることからがスタートだと言えます。

一口にいう育児は、誰かのまねでも、誰かに指図されるものでもあるいは指針や設計図などといった決まったプログラムはありません。

どう生きていくかはその人自身の問題で、今泣いている赤ん坊ですらその子自身の問題なのです。

世の中でいう育児にかかる費用とはみなさんがやっていることを踏襲してまねして生きていったならばということにほかなりません。

それが幸せかどうかは個人の問題で答えになるかどうかはわかりません。

いいかどうかなのではなくみなさんが言葉に窮した時に使うように“とりあえず”の経過体制です。

進めばという“とりあえず”の行動のまま行くこの体制こそお金をかけ続けねばならない生き方なのですから。

妄想は捨てましょう!

ご自身の子供に夢を託すという話をよく聞きます。

蛙の子は蛙ということです。

インドでいえばカースト制とおなじで、産まれてきた子供は所詮前世からの輪廻で来ている考え方です。

身分も職業もすでに決まっているわけですから自由に生き方を選択するなどはあり得ません。

スポーツ選手はその子もスポーツ選手。

資産家の家の子供は資産家として後を継ぐ。

資質や素質あるいは考え方を受け継がせるための環境づくりや教育まで徹底していることです。

昔、オオカミの育てられた子供の話がありました。

乳飲み子のころから小学校低学年くらいまでの間に育てられた子供はやがて人間に見つかり保護される。

そしていくら人間社会の暮らしを教えてもすぐにオオカミの生活スタイルに戻ろうとしてしまう。

やがてなくなるといった実話ですが、小さいころにより多くの教育機会や目指すものの土台作りにお金をかけることは必須であります。

ですから子育てにお金がかかることは否めません。

それが“後を継ぐ”ことを目的としてたり、あるいは親の抱く“夢”に子供を託そうとするならです。

ただし一つ言えることはその子のとって幸せになるかどうかは別問題で、見ている人々が幸せなだけかもしれません。

携わっている本人が幸せかどうかはその子が亡くなる直前に「私の人生は幸せだった」と思わない限りわからないのです。

親がいう「この子のために」というセリフは勝手に親がその子の“幸せ”感を作り上げてる妄想でしかないということは抑えてほしいものです。

どうせやらせるなら楽しいからやってみる、あるいは面白いから続けてみるぐらいの単純さがないとだめです。

親の持つ支配権でその子供がたどりつくであろう目標地点に向かわせるのは自分がそうしたほうがいいという親のエゴでしかないのですから。

育児にお金のかからない場面はいくらでもある

子育中にお金がないということはその時点で子供自体への教育制限があることは否めません。

しかしながら、高度であったり特殊な技能であったりということを除けば決して負い目に感じることはありません。

むしろお金がないことぐらいでめげない方が心身共にいい結果を生むものです。

人は等しく教育を受けることが義務付けられている日本においてお金がないから教育ができないということはないからです。

子供自身にあった教育、その子の将来を見据えた育児などは結局は親のエゴであることが分かった時点で何を大事にすべきかは見えてくるのではないでしょうか?

基本は人と関わってでしか人間は生きられない。

日本でも諸外国とでも、世界中でも共通なことは嫌なことはしないということです。

人と関わることの中で不快なことはしない代わりに、喜ばれることは大いにするという考え方は教えることもあるいは身に着けることもお金など関係ありません。

こんな話があります。

お金持ちでとても成績が優秀な子供さんがいて親は医者だそうです。

授業参観で活発な発言や頭の良さをみて誰もが羨ましがったとき、たまたま落ちた筆記用具を後ろの席の子が拾って渡したそうです。

その時その子は受け取ってだまって筆箱にいれたのだそうですが、拾ってくれた子の目もそれから顔も見ることなく、お礼すら言わずに本を読み始めたそうです。

その姿を見ていた周りの親はその子の親の方をみると窓際で携帯電話を使いながらメールのやり取りをし、取り巻きのご婦人さんたちも世間話に夢中でした。

拾ってあげた子の親はその子に近づいて頭をなでたり何か楽しそうに話をしていたそうです。

教育を考えたとき、その教育に行きつく育児とは何なのか本当に考えさせられる場面だとはおもわないだろうか?

面倒な人はきまって“いろんな人がいるから”“それぞれ考え方が違うから”と答えるでしょう。

それはその場から逃れたいセリフや関わりたくないという気持ちからなのでしょう。

なぜなら、してくれたことに対して「ありがとう」も言えない子が大人になり、その大人が医者になって「直してやってるんだ」的な考えで治療されたいとは思うはずがないからです。

「直してくれてありがとう」があるなら「体を大事にしようね。でも困ったときはまたおいで。困る人のために僕らもいるのだから」という会話が欲しくて関わるのではないでしょうか?

そういう心の通い合いの中での信頼性を培うのが教育をみすえた育児のありかたのはずです。

勉強に例えると

お金とは関係ない子育てこそ十分にしたい。

人に対する接し方や人とのかかわり方に法則や近道はありません。

そうした方法を求めたがる人は自分に持っていないからわからないということでしょう。

勉強ができない親は勉強を子供に教えることはできません。

ですから、塾や家庭教師にお願いしてやってもらうのです。

そればかりではありません。

勉強の仕方すらわからないから塾を転々とさせたり、通信教育にしたり、あるいは他のやり方に変えたりと右往左往するのです。

やり方は一つしかなくそれを身に着けさせるための根気を育児で身に着けさせなかっただけです。

0である知識を増やす方法が勉強です。

それを目標が1000までという範囲が高校受験であるならば100までは何としても我慢させてでも身に着けさせる。これが小学校です。

残りの900が中学校時代だとした場合、何もしないでは900は入りません。

しかし人間は同じことをやるにしても効率よくやる方法を見つけて実践できる生き物です。

ご飯を炊くのに毎回玄米を精米していては時間のロスです。

はじめから精米しておけばいいのです。

しかし研ぐのにいちいち時間を使いたくない。

だから無洗米があるのです。

炊いてるのももったいない。

故にレンジで温めるごはんすらあるのです。

バージョンを変えていく術を心得たものが飛躍的に発展する例ですが勉強も同じで時間をかければ900であっても9000であっても到達することはできます。

このようにやり方すらわからない人が自分の子供はダメなのだと決めつけてしまうのです。

自分ができないだけで子供はいい迷惑で犠牲者です。

勉強ならばある程度近道はあるでしょう。

それでも追求あるいは探求する先が深いものですから無理やり近道をすることはかないません。

受験という勉強じみた内容は別です。

大切なのは「ありがとう」という言葉をかけること

人に対してあるいは物事にも感謝していける人はそれだけで人生は成功です。

それを教えられる人が本来親であるのですが、マニュアルにばかり固執する親が多い中人間を育てるよりも、作業員を育てている風潮が多いとさえおもえます。

立派な会社、立派な職業。

すべて画一化された社会の一歯車として、安心安泰から漏れないようない人間育成に余念がありません。

いってみれば作業員です。

かりにその作業員であっても、感謝尊敬という人への思いは捨ててほしくないものです。

多くの人にこの人と付き合っているだけで心が豊かになる、あるいは心が和むということは望まれる生き方なはずです。

何をやったかではなくどんなことを人に与えられたかが求められる、今はそんな時代なのです。

育児に関してお金のことばかり気にしている人は金をかけた結果を求めたくなるものです。

お金をかけたって成功する人もいれば、お金をかけずに大いなる地位について人に対しとても影響力のある人にだってなれるものです。

大切な「ありがとう」という言葉をかける一歩からはじめられたなら、3歳児教育なる教室に説明会をきいて参加するといった熱心さはあまり意味を持たないと気が付くかもしれません。

ひと口に教育というけれど

育児はあくまでも教育に入る手前までの準備期間ということです。 そこに至るまでには人として最も大事なことを教える導入部です。 お金など全く関係ないものです。 食事ができて寝る場所もあるような基本的な衣食住に問題がなければです。 それすらない環境では生きていくことがやっとで誰かの援助なしでは育児すらままならないことでしょう。 そして問題ない環境時において集団生活のための基礎的な考え方は、親の方で十分理解したいものです。 理解をとおりこして反省をしてほしいものです。 自分ができていないのに子供に教えられることはないからです。 ひと口に教育というけれど、本に書いてある育児方法や教育理念などはあくまでも現代社会に求められている使いやすい人になるためのものでしかないです。 そしてそのもっとも基本的な考え方は他人を思いやること以外に皆無だということです。

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