「妾」を持った東京人と大阪人!男と女の面白い話

男がしたがる「道楽」、その一番は一体何か?

世の中で一番お金がかかる「道楽」とは、いったいなんでしょうか?

「カジノ」

「自家用ジェット」

「ヨット」

おそらく、答えはいくらでもあるでしょう。

中には、「馬」という方もいるかもしれません。

もちろん、勝ち馬投票券ではなく、馬主が持つ競走馬。

確かに、維持費だけで数千万円かかると言われるのは事実でしょう。

ですが、本当のことを申しましょう。

金持ちのオトコにとって、一番お金のかかるものは、ズバリ「女性」なのです。

古今東西、そんな話をちょっとご披露いたしましょう。

江戸時代の徳川将軍、一番暇だった「家斉」公のケース

1603年、江戸に幕府が作られた時の将軍は、言わずと知れた徳川家康。

彼は戦国時代を終わらせた名君、と言われていますが、実は長い間彼は民衆の人気がほとんどなかった人物として有名でした。

江戸時代に入っても、人気のあった武将は「武田信玄」「上杉謙信」に「真田幸村」。そして畿内では完全に「太閤秀吉」でした。

その中、家康公の世評は「ずるい」「タヌキおやじ」といったものばかり。

そもそも、徳川氏の素性そのものがよくわからないことも手伝っているようです。

こうした世評は面白いことに、その後第二次世界大戦中まで、引き継がれていきました。

それはそうでしょう、戦争のない太平の世を作った家康は、戦争状態の日本にとってはあまり芳しくない歴史上の人物だったのです。

家康公は立派だった…そういった再評価をしたのは、1950年から67年まで歴史小説を新聞連載した、歴史作家の山岡荘八。

彼の手で、家康公はやっと現代人の評価に合格点を貰った、というわけです。

さて、徳川家の世になって、11代目の将軍ともなると、歴史上有名という訳でもありません。

ところが、山岡荘八の執筆以来、徳川時代きっての名物将軍が次から次へと明るみになってきました。

徳川家斉、11代将軍、在任1787年 – 1837年。

15歳で将軍となり、17歳で結婚、正室は近衛寔子、側室は数え切れず。

子供の数、55人、そこで付いたあだ名が「オットセイ将軍」です。

オットセイはオスが大勢のメスを呼び入れる「ハーレム」を作ることから、そう言われてきましたが、彼の場合は幕政にいろいろと指示しようという意志がありながら、老中ががっちりまつりごとを行っていた、という経緯があります。

要は、彼の場合は、戦もなし、経済もそれ相応に悪くなし、そして自分の出番もなかったことから、結局女性に向かうしかなかった「事情」があります。

この時に徳川家は日本中の大名に子供を嫁がせたり、養子にさせ、日本中の大名に「斉」の字を与えました。

家斉の時代は、役人もゆるゆる、平民もゆるゆる…と質素倹約な吉宗のころとは大違い。

女性にだらしがなかった家斉ですが、実は江戸幕府の経済と文化が一気に花開いた時であり、いわばルネッサンス時代であったのです。

もちろん、娘が生まれれば持参金付きで、雄藩のお殿様の正室に嫁がせますが、中には姫路城の酒井家などは、自ら率先して姫を頂戴したい、と宣います。

姫路藩は、その豪華なお城が有名ですが、酒井家の江戸屋敷が膨大な敷地であり、「下馬」(馬を降りること)を許された江戸城に一番近いロケーションだったことも、財政難を加速させました。

未曾有の借金を、20年かけて返済し、国家老として活躍した河合道臣は、今なお地元で尊敬されている偉人ですが、彼は倹約と産業開発の両輪をうまく稼働させ、そのお金で譜代大名らしく、家斉の二十五女、喜代姫を酒井家正室に迎えました。

数十人もの姫を持参金付きで嫁に出す、これほど膨大な資金が使われたか…その結果江戸幕府の財政は一気に傾いたのは明らかでした。

文明開化!日本の初代総理大臣は、さすがに大物だった

さて、明治の世になった途端に、日本は西洋文明を盛んに吸収し始めますが、その初代首相といえば、言わずと知れた伊藤博文。

彼は結婚していながら、不倫し続け、結局離婚し、不倫相手の芸妓と再婚しています。

彼の場合、首相の座にありながら、全国遊説の際に必ず各地で芸者遊びをして回りました。

これが、マスコミのネタになったのは言うまでもありませんが、当時の芸妓さんがどういう人たちだったかを考えると、その行動も、悪びれただけのものかどうかはわかりません。

実は、明治の世の中で真っ先に職を失ったのは、お城で働いていた女性たちだったのです。

彼女たちは一応に美しく、教養もあったのにもかかわらず、明治の世に放り出されてしまいました。

そうした彼女たちを受け入れたのは芸妓の道。

花街といわれた、女郎屋の娼婦とは違い、芸妓は金持ちの旦那衆に身請けされる身分の女性たちです。

伊藤が相手にしたのは、こうした芸妓衆。

つまり、当時の新聞記者が追い回したところで、到底財力も教養も追いつかない男女の関係だった、というわけなのです。

自由民主党を作った男、三木武吉。名前も勇ましいが、あっちもすごい

さて、お次はぐっと最近に近づいて、三木 武吉(みき ぶきち、1884年 – 1956年)。

彼は早稲田大学の前身、東京専門学校を卒業し、日銀に入行するも、すぐにクビになってしまいます。

また、司法試験に受かり、裁判所勤めになりますが、わずか7ヶ月で辞表提出。

やはり、元来の一匹狼癖はこの頃すでに発揮されていました。

彼はその後結婚し、弁達優れていたことから、東京区議、衆議院と議員バッジを手に入れます。

当時の憲政会という政党で、彼は「ヤジ将軍」のニックネームを欲しいままにしました。

現在の国会議員のヤジもいろいろありますが、三木武吉がその元祖、と言われているのです。

そのヤジは、結局金を巡る財界事件に巻き込まれるところとなり、彼は議員の職を失います。

その後、報知新聞社長に就任、今のスポーツ新聞「報知新聞」は、実は一般紙として販売されていたのですが、三木は社長就任3年後の1942年に読売新聞に譲渡し、報知新聞は買収されます。

さて、彼は戦後再び議員バッジを付けて、衆議院に戻り、日本自由党を結成し、戦後最初の国会選挙で第一党となり、自ら国政を動かそうと計ります。

その時持ち上げたのが、鳩山一郎、そうですあの「鳩山由紀夫元首相」の祖父に当たる人物です。

三木武吉と鳩山一郎は、この時に吉田茂と大勝負を演じます。

ところが、鳩山一郎も三木武吉もGHQの命令で、公職追放(戦時中、戦争に加担したという罪)に遭い、吉田茂の長期政権が確立してしまうのです。

それ以来、三木武吉は打倒吉田を掲げて、衆議院に戻っては何度も喧嘩を挑み、その合間にお妾さんも何人もこしらえたのです。

彼は圧倒的に選挙に強かったことから、選挙中に相手陣営にこういったヤジを飛ばされました。

「あそこにいる、三木君は、なんとお妾衆を6人も囲っていると聞く。そんな輩に国政が務まるのか!」

これを聞いた三木は間髪入れず、こう反論します。

「今の御節はもっともだが、一点訂正させていただきます。正確には、6人ではなく7人、それも皆年老いて頼りのないものばかりなので、なんとか面倒を見ているのであります」

これには、聴衆から爆笑が起こり、対立候補も結局それ以上追求することができなかった、と言います。

なんとも、おおっぴらで、相手の攻撃にもハッタリで返すそのユニークさ。

これはやはり、西日本(愛媛県出身)のモテ男ならではの逸話、と言えましょう。

関西と関東。お金の使い方は「女性の扱い」に、その違いがよくわかる

さて、ここまで登場した人物は、徳川家斉、伊藤博文、そして三木武吉ですが、徳川家斉は一橋家ですから関東出身、伊藤は周防国(山口)の出身で、三木は愛媛県。

家斉は政治は老中に任せ、自分はひたすら美食と美女三昧でしたが、これは江戸城という閉鎖された空間を生きるための限られた道楽でしかありませんでした。

これに比べて、伊藤と三木は、西日本特有のごっつさが感じられます。

伊藤も三木も平民の出、そして口八丁手八丁で国政の頂点に上り詰め、一方は影の総理と揶揄されました。

実は、現代の大阪人と東京人の「愛人」についての、面白い話があります。

関西では、お金がある男性が「愛人」を囲う場合、多くは歓楽街に「クラブ」や「小料理屋」を出させます。

そして、男性自ら「オレの店だ」と、女性を自慢するのだとか。

これに対し、東京では愛人に「マンションを買い与え」、そこで生活させます。

あまり表には出ないように(つまり、おおっぴらに愛人を抱えていることを隠すため)、仕向けるのです。

開けっぴろげな関西、秘すれば花の東京…お金を持った場合の使い方、これはこんな違いにも現れるのです。

最後に、鳩山一郎を政界から追放しようと躍起になった、吉田茂について列記しておきましょう。

吉田茂の孫といえば、麻生太郎元首相。 オシャレに気を使い、言葉に気を使わないような面白い人物です。 吉田は、大久保利通のひ孫にあたり、自身の母は芸妓であったらしい、と言われます。 ですが、彼は貴族であった牧野信顕(高級官僚)の娘雪子を貰い受けましたが、1941年に亡くなり、その後愛人であった芸妓の「小りん」を大磯の自宅に住まわせました。 その時まで、岳父の牧野には気を使って隠し通しましたが、大磯の自宅まで無理やり開通させた道路(通称 ワンマン街道)のおかげで、新聞記者に感づかれ、再婚しました。 貴族趣味と横柄な態度が印象的だった、吉田も、女性の扱いだけは東京的だったわけです。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でお金が無い.jpをフォローしよう!

「妾」を持った東京人と大阪人!男と女の面白い話
Reader Rating 1 Vote