日本におけるサービスとおもてなしの違いとは?目に見えないものを提供する人たちの苦悩

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日本のサービスは少し特殊

少し前の東京オリンピックが決まる前に日本と言う国は「おもてなし」の国として注目を浴び、多くの日本人もその通りだと同意したことでしょう。

日本には古くからこのおもてなしと言う考え方が存在し、どれほど近代化されていく中にあってもその精神は残り、日本人はそれを誇り、評価して来ました。

しかし海外からサービスと言うものは対価を貰ってするものだという考え方が入ってくるとサービスと言う海外で生まれた考え方や言葉と日本古来のそうしたおもてなしという考え方や言葉が徐々に交じり合い、一般の人たちの間では少し独特の考え方が生まれました。

その考え方こそがサービスとはしてもらって当然の事であり、そもそも金を払って受けるものではないという海外で言ったら正気を疑われてしまうような考え方です。

そうした考え方が日本で生まれ、浸透していくうちに日本はどこよりもサービスが安い国となっていきました。

サービスを受ける側からしたらとても素晴らしいことでしょう。

しかし提供する側、特に仕事としてサービスと言うものを提供するが分からしたらこの考え方はたまったものではありません。

単純に考えて本来ならお金を貰ってするようなことをただでやれと言われたり、本来は業務に含まれない事を相手に喜んでもらうためにやっているのに、さもそれを自分がされて当然であるといわんばかりの態度を日本ではとられるのです。

もしもコレを商売で考えたら商品をタダでよこせと言われたり、サンプルを提供しているのに見もしない態度を取られている事と同じです。

今回はこうしたサービスと言うものを安く考え過ぎている日本の価値観について述べていこうと思います。

サービスとおもてなしの違い

そもそも日本ではサービス=おもてなしの事だと思っている人も多かったように思います。

その証拠こそがサービス残業であるとかサービス品と呼ばれる無償の代名詞こそがサービスとなっている日本語に見受けられます。

しかしそもそもそのサービス=無償あるいは割安と言う考え方が間違っているのです。

サービスの語源はラテン語の奴隷であるservitus(セルヴィタス)であり、サービスそのものの意味としては「奉仕する・仕える」という意味です。

サービスは「奴隷」の語源の通り、サービスを受ける側、お客様が主であり、お客様に接客しサービスを提供する側が従となります。

このようにサービスは主従関係が明確にされます。

しかし奴隷とその所有者と言う関係は現代社会で基本的に認められておりませんし、過去においても奴隷と言うものを買う必要は最低限ありますので主従と言う関係を作るにあたりそこには対価が支払われるべきものなのです。

それに対しておもてなしはそうした考え方で成り立っているものではありません。

おもてなしを英語にすると「ホスピタリティ」と言いましてその語源はラテン語のHospics(客人等の保護)と言うものであり、ホスピタリティそのものの意味としては「歓待」と言う意味です。

当然そこには主従と言う関係性はなく、主客に対して自分から自発的にそうしようとしてする行為の事を指しており、それに対して対価が発生することを求めることがあってはならないですし、そこにビジネス性を求めることはおかしなことです。

こうして見比べていただくと分かると思いますがサービスとおもてなしと言うものは根本的に質が違います。

極端な話サービスとはあくまで自分自身を相手の下に売り渡すことで対価を求めることであり、おもてなしとは相手との立場に対して上下の関係なしに無償で自発的に行うことなのです。

東京オリンピックに向けてのプレゼンテーションでおもてなしと言う言葉に注目が集まってもサービスとおもてなしと言うものの区別がつかない人も悲しいことに日本にはいまだいるようです。

ご自分がサービス業で働いていると言う方ならばこうしたクレームを受けたことはありませんか?

「そんなことやって当たり前だ」「そんな事ぐらい普通タダだろう」「何でそんな事ぐらいで金を払わないといけないのか」

何を指して当たり前や普通とそういう事を言う人たちが言っているのか分かりませんが、そういう事を言う人程おもてなしに見られる、人のために無償で何かをしたいという日本人的発想に欠ける人と言うのは多いのです。

サービス業とは何で対価をもらえるのか?

おもてなしは無償のもの、サービスは対価を必要とするものと言う違いが分かっていただけたところで、次は何故サービスには対価が支払われるべきなのかをについて触れていきます。

簡単に言うならばサービスとは他人が出来ない、又は嫌がることをすることで、その労力や精神的苦痛、あるいはそれをサービス提供者がすることでサービスを受ける側が得られる利益に対する貢献の報酬として対価を受け取る正当性があると言えます。

その為サービス業と言う業種はそうした人に出来ない事や人がやりたがらないようなことをする代わりに対価を得る職業の事を指しているという事ができます。

そうして考えると病院の医師や税理士、弁護士などの国家資格の必要なものを提供する人たちもまたサービス業だといえますし、逆に飲食業界でサービス業を名乗る人たちは接客や応対に対して対価が支払われることはないのですから本来であればサービス業とは言えません。

そう考えてみると飲食業の中でも接客がなっていないと怒られるのはサービスではなく、おもてなしに分類される訳ですからそこに料金が発生しなくとも至極当然の事です。

病院で自分に支払えるお金がない時であっても先ほど上げたような「そんなことやって当たり前だ」「そんな事ぐらい普通タダだろう」「何でそんな事ぐらいで金を払わないといけないのか」と言うクレームは発生しなくて当たり前です。

この辺はハッキリしているのでいいでしょう。

しかしサービス業とはこうしたはっきりと対価が必要なサービスなのか?おもてなしの一環としてタダで提供されてしかるべきものなのかがイマイチハッキリしないようなものもあります。

例えばアミューズメント施設で働く人たちはどうでしょうか?一般的に多い考え方では遊戯を提供したり、遊戯する空間そのものを提供する上で付属するおもてなし要員であると思われています。

しかし遊戯を円滑するためや、施設を管理する人員として必要不可欠だったり、自分のそうした手間を省きたい場合に用いるための人員として考えたならサービスに分類されるため、そうした人たちはサービス業と言う仕事をしている人たちです。

飲食店の料理を持ってきたり接客応対をするスタッフは、飲食店が客に対して料理を提供する所までを商品の提供としているために提供しているものとしてはおもてなしでありサービス業とは言えません。

しかし所謂日本でいう所のキャバレーやスナックなどという所で働く人たちは料理や飲み物を提供する以上の事を要求され、それに対する対価を貰っているのでサービス業と言えます。

サービスとは目に見えないものであり、商品を提供する商売と違っておもてなしを受けることもすることも当たり前になっている日本人には明確な線引きがしにくいのです。

日本で目に見えないものを提供する人たちの苦悩

そうしたサービスとおもてなしの混合により生まれたサービス=無償と言う考え方がもたらしたものは目に見えないものを商品とする人たちへ支払われるべき対価の低下です。

例えば電気やガスなら目に見えなくても使っている実感と言うものがありますし、医療やマッサージ、エステなどもある程度は体感することが出来ます。

しかし例えばカウンセラーやコンサルタント、プログラマーなどはどうでしょうか?

基本的に提供するものは形として残ることもなく、必要な資本はスキルを納めた自分自身以外に基本かかりません。

コンサルタントもプログラマーも大金を手に入れる人もいますがそれはあくまで結果が出たからこそ支払われての事であり、そこにかけた労力に関しての支払われる対価は基本的に日本人には払いたいと思えるものでありません。

芸術分野に関しては更にその傾向は強く、自分が作った音楽を対価を支払うことなくタダで聞かせろと言われるアーティストに、元手なんてタダなんだし好きでやってることなんだからと買い叩かれるイラストレーター、「ちょっとした修理や作成ならプロなんだから簡単でしょ?」とさも当たり前のように対価を値切られたり、時には踏み倒そうとされてしまう技術職。

自分がそうした職についていなければ、あるいはそうした仕事をしている知人がいなければ、そうしたサービス=タダもしくは安いという風潮がどれほどむちゃくちゃな事を言っているかが理解できないのですが、少し離れて考えてみるとかなりとんでもない要求をしている事が分かります。
 

サービスを安く見積もることで質が下がって言っている日本と言う国

日本のサービスは質がいいと海外から言われていますがそれはあくまでおもてなしこみでそういう評価をされています。 もし単純なサービスと言うものの質だけで考えたなら日本よりもアメリカの方が余程しっかりしたサービスを提供してくれるところは沢山あります。 このサービス業で働く人間の質の低下が一番顕著に感じることが出来るのが介護に関るサービス業についてです。 本来であれば自分の家族がするべきことを他人にやらせているのでもちろんコレも立派なサービス業です。 しかし介護される側はそれだけのお金は払っているんだから当然だ、と思っていても支払われている給料以上に自分はしっかりやっていると介護をする側は思うわけです。 要求されることは増え、業務の辛さ、拘束時間が延びるのに収入は据え置き。 その現状に不満を持ってやめていく人も多く、お金がどうしても必要な人や本当に好きでやっている人だけが残り、やりたい人のおもてなし込みのサービスを受け、仕方なくやっている人のサービスは不満の対象になります。 するとサービスを提供している側も正当な対価を貰っていないのにそれ以上をしろと怒られ、不満を持ちよりサービスの低下が起こります。 こうしたサービスに対してお金を払うことに抵抗がある日本のサービスは今正に徐々に質が低下しています。 おもてなしの国として、困ったときはお互い様の国として、私達はそうしたサービスへの対価を今一度見直した方がいいのかもしれません。

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