就職率6%!大学院を出ても定職に就けない「ポスドク問題」は深刻だ

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100人に6人しか「助手」になれない現実

1990年代、旧文部省(現在の文部科学省)が作り上げた政策のひとつが「ポスドク1万人育成」です。

ポスドク、とは「ポスト・ドクター」のことであり、大学院を出て博士号を取得しても、学内に残れない人(大学教員に採用されず、助教や助手の下で研究員として働く人)たちをいいます。

そもそも、大学は4年から6年(医学部・薬学部)の間に単位を取得し、学士となります。

大概の人は、就職するわけですから、収入を得る「社会人」に立場が変わるわけです。

ですが、中には「研究者」としての道を進みたい人は、大学院の門を叩き、博士課程2年で修士、その後博士号を取得していくのです。

大学では、学費を支払って学士号を取得し、大学院ではさらに学費を支払って、博士号を取得します。

つまり、ここまでは学費を払って通学することから、「大学にとって、お客さん」である身分ですが、いざ博士号を取って「大学で研究者になりたい」と望んで、給与を貰って研究を続けられる身分になるためには、非常に熾烈な競争を勝ち抜かなければなりません。

2014年(平成26年)6月5日発表されたポスドクの実態、これは世間を唖然とさせるものでした。

文部科学省 科学技術・学術政策研究所の 第一調査研究グループ 小林淑恵(こばやし よしえ)上席研究官と渡辺その子総括上席研究官による《ポストドクターの正規職への 移行に関する研究》によれば、任期付きで不安定なポスドクの人が「常勤で任期なし」の正規職員に移行する比率は、毎年「男性で7.0%、女性で4.4%、男女平均で6.3%」しかいなかったのです。

つまり、100人の博士号取得者の中で、6人しか助手になれないのです。

そればかりではありません。

研究官のこのレポートには、助手から助教になった人でさえ「有期の特任助教」として不安定な職員生活を送る問題を指摘しています。

では、研究者として大学に残れたポスドクたちの収入は、どのくらいなのでしょうか?

大学職員の年収はいくらなのか?その実態は

2011年(平成23年)度の 国立大学法人 教員平均年収 を調べたデータがあります。

2014年(平成24年)6月29日 発表された 「文部科学省所管独立行政法人、国立大学法人等及び特殊法人の役員の報酬等及び職員の給与の水準(平成23年度)」によると、北海道大学の場合、「教授」1,014万円、「准教授」812万円、「講師」760万円、「助教」648万円、「助手」661万円です。

北海道大学は、全国の国立大学の給与水準の中央値付近を指している、と考えてもよいでしょう。

ちなみに、私立大学の場合は給与差は非常に大きく、教授の年収も 平均1,200万円 程度を数えるところも少なくありません。

ところで、大学の教員のランクで一番下に位置する「助手」に比べ、「研究員」は年収で 200万円から400万円程度です。

ポスドク=研究員の年収が400万円…それなら生活はできるのではないか、と思われるかもしれませんが、年収とは「社会保険」や「税金」、「年金保険料」を支払ってしまうと、手取り額は、そこから100万円以上下がっていきます。

つまり、月額20万円から25万円程度…その中で、自分の研究に必要な書籍なども賄わなければならず、実際に生活するのにカツカツ、というケースがほとんどです。

そして、一番問題なのは、ポスドクがこの先何年続くのか…ということでしょう。

ポスドクは、大学での「不定期職」であって、何年か研究していけば必ず助手、助教…と上って行ける保証は全くありません。

この文章の題名は「就職率6%」、つまり、100人中6人しか大学に正式採用されない、ということを意味します。

つまり、逆に言えば、94%の人たちは博士号を取っても行き場がなく、結局いつかは企業や官庁に勤め口を探さなければなりません。

現在ポスドクに当てはまる人たちの年齢で、一番多いのが40代前半(2015年現在)と言われています。

この人たちは、結婚することも叶わず、かといってフリーターのような立場で、必死に研究をし続けたいと考えているのです。

その数は、どんどん増加し、1万人に達すると言われていますが、この人たちの現状こそが「アカデミックプア」とも評されるわけです。

なぜ、ポスドクの貧困が増加しているか?

ポスドクとは、学問を研究していくことを人生の目標に据えたひとたちです。

そのジャンルは、大学学部の数だけあるのであり、理工系から、法学系、文学系、芸術系、体育系など様々です。

ですが、その中には30年前は非常に人気だった学部なのに、今では学生の人気がなく、国立大学でも学部学科を閉鎖せざるを得ない…といったものも少なくありません。

経済の動向でかなりの変動があるものとして、例えば「鉱山」を学ぶ学科があります。

「鉱山」研究では名高い、秋田大学ですが、その公式サイトには、次のような掲載があります。

「平成26年4月,工学資源学部は理工学部に改組いたしました。

さらに平成28年4月,大学院工学資源学研究科は大学院理工学研究科に改組いたします。

中略

※大学院工学資源学研究科・工学資源学部は,所属する学生が在籍する限り存続いたします」

ここで注目すべきは「学生がいる限り学部は存続」というくだりです。

もともと、秋田大学の鉱山学部は「金属を発掘する」というだけの学問研究ではありませんでした。

その証拠に、卒業生の多くは「石油」関係の企業に就職する例があり、いわばその名称がネックで学生が集まらないといったマイナーさが、問題となっていたのです。

ですが、2018年問題、つまり高校卒業後、大学入学を志望するであろう数、と大学学生定員の数が同数になる、という「全員入学」の時期が2018年。

それだけ、少子化問題と大学の数の増加、学部学科の増加が大変な問題になっているのです。

つまり、ポスドク問題は、大学経営問題と絡み、最終的に少子化問題がすべての元凶となってしまっていることを意味します。

そして、あてもなしに研究一辺倒できた人たちは、35歳、40歳になっても助手になれず、助教になってもそれが一定期間の期限付きである場合が多くなり、いつでも解雇される可能性が高い立場に追いやられているのです。

理工系、医薬系ならば、ポスドクでも問題ない場合もあるでしょう。

ですが、文学系や芸術系の場合は、将来設計が全く立てられない人生になる可能性が高くなります。

かといって、就職もできなければ、フリーター人生を過ごすことになるわけです。

もちろん、非正規雇用や契約雇用といった就職は、もはや一般的になっていて、それは時代の流れになっていますし、誰もが副業をしていくことで、将来への安心感を掴もうとしています。

ですが、アカデミズムの人たちの場合は「稼ぐ」ということを目的としない「研究」に終始します。

国や多くの人たちの支払った授業料から、研究費が回ってくるとともに、自分の給与も振り込まれるのですが、研究もやはり「安定収入」があるかないかで、おおきく変わってくるのは、誰でも理解できるでしょう。

結婚したくても、年間の手取り額は200万円、それでもやっていけるならば問題ありません。

ですが、それもいつか解雇されてしまうかもしれない、助手に、助教に、准教授に…と昇級するあてもないどころか、学部そのものが改組されてしまいかねない…

そんな人たちが、果たして結婚して家族を持つことが、可能と言えるのでしょうか?

しかしながら、大学経営者にとってはこれは「しかたのないこと」であって、結果、最下層にいるポスドクの貧困に連結してしまっているのです。

大学は誰のための場所なのか?

日本で一番「志望率の高い」大学学部…といえば、東大か慶應義塾や早稲田、と頭に浮かぶ方は多いでしょう。 ですが、実際には「東京芸術大学 美術学部」です。 医科大学や東大、京大といった大学に人気があるのは、当然なのですが、こうした大学は必ずしも「一番ランクが高い」とは言えません。 なぜなら、学問は時代によって教授の質や大学経営の流れで、大きく変わっていく可能性に満ちているからです。 医学部でも、東京大学医学部より人気の高い、順天堂大学や慈恵医科大、慶應医学部は入試競争倍率が高くなっています(もちろん、東大は入学時点では学部はわかりませんが)。 ですが、東京芸術大学の美術科や、音楽科の場合は、どうしても国立大学として日本唯一の学校、という歴史と文化があり、その権威は揺らがないのです。 ですが、こうした芸術系の大学を出たとしても、研究生として残るのは至難の技です。 それが芸術家の人生、と割り切っていけばよいのですが、一般の文系理系の学部大学のポスドクの場合は、そうはいかないでしょう。 一般社会に溶け込みながら、かつ、自分の研究に励む…まさに、蛍雪時代を過ごしていかなければ、学問は追求できません。 そのあたりの「頭ではわかっているが、かといってお金がなければ生活はできない…」というジレンマが、ポスドクの大きな問題となっています。 素晴らしい研究をするポスドク、そして教授や准教授の手足となって、資料作りからスケジュールの管理までこなすポスドク。 彼らの人生を本当に腐らせないようにするには、学生を集め、育て、そこに価値観を高めるように「税金を投入する」という道がよい、という論理は、多くの人が唱えています。 ですが、それがどの程度にまで許されるのか、これは古くて新しい問題でしょう。 最後に、イスラエルの話で終わりにします。 イスラエルといえば、ユダヤ教国家、そこには「ラビ」と呼ばれる黒ずくめの格好をして、髭を伸ばし、黒い帽子を頭に載せた男性をよく見かけます。 彼らは、一生涯働くことをせず、ユダヤ教会からお金をもらい、ただひたすらユダヤ教の教えを研究して過ごします。 ですが、最近は彼らに対して、一般ユダヤ人が懐疑の目を向けるようになっています。 彼らはいったい国に役に立つのか? ユダヤ教を学ぶといっても、結局は我々のお金で遊んでいるだけではないか? 世界一戦乱に晒されても、一枚岩と言われるあのユダヤ国家でも、研究一筋の人たちへの見方が変わってきたのです。 研究、とは苦しい道のりです。 ですが、そこには「民衆の理解」がなければなりません。 それは、国民の質であり、民度であり、許容でしょう。 そこに、一定の枠をはめなければならないのも、時代というもの。 お金を稼ぐことには世界一のユダヤ人でさえ、その源のユダヤ教に、すべてを依存しているわけではないのです。

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