お金のない貧しさと幸せの比較を考える

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幸福や不幸とお金の因果関係

浄土真宗のホームページに、お布施の意味についての説明があります。それによれば、興味深いことに非常に理知的な哲学のようなお話が書かれていました。

仏教の思想では、「物事には必ず結果を作る原因がある」ということで、なんの要因もなしに起きる結果は億に一つもないという教えがあります。

その中で、お布施と呼ばれる、この世のお金と幸福と不幸という運命の因果関係に触れています。

人にお金を差し出す際に、代わりを求めず施すあるいは与える、

寄付するということは広義の意味では親切心から来ています。お金を恵むことで自分も恵まれる、人を生かすことは自分も生かされるという考え方です。

本来この思想は、仏教の始祖である釈迦の言葉、「もらうことばかり考えていたのでは、決して幸せはやってこない」という教えにその根拠があります。

ひとまず宗派や信じる信じないを別にして、冷静に思想として今回のテーマに絡めて話をしていきます。

 

宗教からみたお金の考え方

例えば5つある食べ物の中で、他人に2つ与えれば計算上では自分の手元には3つ残るだけですが、釈迦の説法では5つの幸せだったものが、2つ他人への幸せを作ったのだから、5つに2つを合わせて7つ分の幸せを得られたという思考です。

しかしながら、「与えた分の見返りが来るだろう」と算段するのは、商売の考え方です。

物や現金ではなく「お布施」という場合は、仏教では”三輪空”という教えが生かされます。

お金は「誰が」、「誰に」、「何々を」を考え、結果を予想して、それが相手の幸せに寄与するものでなければ意味がないとしています。

その相手は、「敬うべき徳を備えられた方」、「ご恩を授かった方」、「気の毒な方」に限るとしています。

それぞれ、「敬田(きょうでん)」、「恩田」、「悲田」と呼ばれ、布施をした相手はその福徳でやがて芽を出し、秋の収穫のようにい幸せを実らせることから、田んぼの「田」の字を当てています。

与えると損とは逆の考え方

お金でも物でも、この浄土真宗の教えの中にあるように、使えば減るのだから「もっとほしい」、「もっと豊かになりたい」と考えるものですが、お金は物を買えば商売をする人の生活を潤すことができますし、そこで働く人の給与にも間接的に寄与しています。

寄付金が多くても、それがこうした逆の発想なら人から感謝されることで、時には本人の人生を変えるかもしれません。

お金が無ければ食料も買えませんし、衛生的な水も手に入りません。

家賃も住宅ローンが支払えなければ、屋根のない暮らしが待っているでしょう。

しかし、こうしたお金の使い道はすべて生きるための手段の一つに過ぎず、確かに大きな家にd住めたり、高級自動車を買えたり、毎日豪華な食事を外食で味わうことが出来るかもしれませんが、心が満たされるのは別の話ではないでしょうか?

”お金は幸福とは直結しておらず、苦しみから抜け出す手段として使うものだ”

これが仏教の中で語られるお金と幸福の話です。非常に簡潔で分かりやすい答えだと思いませんか?

赤螺屋に学ぶもの

落語の噺に「赤螺屋」というものがあります。吝嗇(しわい)屋ケチ兵衛とという味噌屋の主人があまりに倹約のし過ぎで、自分の奥さんの子供を臨月の奥さんごと実家に押し付け、養育費まで節約する話です。

話はその後が面白く、やがて安産の知らせを聞いたケチ兵衛は、奥さんの実家でご馳走にあがろうと、「留守中に近所で火事があったら、蔵に味噌を塗っとけ」と奉公たちに指示し、勇んで出かけてゆきます。なんとケチ兵衛は焼けた味噌を使って、奉公たちの飯のおかずにしようとまで考えていたんですね。

主人が留守になったのをいいことに、日頃の倹約ぶりで奉公たちもうっぷん晴らしで大騒ぎをしていたところ、やがてケチ兵衛の耳に入り、「どんちゃん騒ぎ使った費用は、給金から差っ引くから生涯ただ働きだ。」と怒鳴ったその時に、近所から火事騒ぎがあり、慌てて外に出ると田楽味噌の匂いがしたのです。ケチ兵衛、思わず「いけねぇ味噌蔵火が入った」と落ちがつくものです。

この味噌蔵の屋号が赤螺屋であり、浅い海でとれる食用貝の赤螺(あかにし)が、を閉じると非常に固いために「金を握った拳のよう」とケチの代名詞になっています。

落語の話では度が過ぎる倹約は、他人を巻き込み不幸を呼ぶ感じになっていますね。

ちなみにあまり馴染みのない言葉、吝嗇(りんしょく)も極度に物惜しみする様を表す熟語です。

また主人公のケチ兵衛は、「片棒」、「位牌屋」、「死ぬなら今」などの演目で登場するので落語の世界では人気者、演目を得意とした9代目桂文治は、ケチで有名だったとかで演じ方も実感がこもって大変面白かったそうです。

手段が目的になるの不思議さ

日本の仏教世界では、一体収支はどうなっているのだとうと一般の方は不思議に思えるのではないでしょうか?

高野山真言宗金剛峰寺では、契約職員として月額17万円で募集を行っています。

法定内福利厚生も完備しており、研修生からスタートできるようになっています。初任給があるんですね。

一方で総本山や一部の都会にあるような寺ならともかく、檀家の寄付で成り立つ通常の寺の収支は赤字にならない程度であり、僧侶を雇う寺の規模でも、給与は月5万円出るかどうかと言われています。

修業とは奉公ですから、仏教に恵みを与えるために自ら身を捧げるという献身的な世界というのが大半の実情でしょう。

一般的な寺の給与というものは、その寺院の収支に応じ、檀家総代と寺役員の賛同を得られて決まるのが通例です。

法人税は無い代わり、僧侶は原則労働者ではないのですが、給与があれば源泉徴収で所得税は納め、年金や健康保険は小規模事業者や農家と同じ、国民年金と国民健康保険のみです。

それでありながら、東京大学卒、有名私立大学卒の僧侶も多く、経済的な豊かさよりも心の豊かさを優先することがこういったし収支背景にはどうしても感じざるを得ません。

考えてみれば、大学への進学も将来の人生設計の中で社会の資格のような側面と、純粋に勉学と研究といった人に役立つ報酬なしの側面があります。

つまり、これもまた「手段」であり、大学進学のための出費も結局はそのための「手段」となります。

人は大学へ行くことだけを目標にしていることはあり得ないでしょう。

つまり、受験も手段で目的はもっと違う未来に向けてあるはずです。

しかし、一旦会社の中に帰属すると、全ては給与のために労力は注がなくてはなりません。

中には出世を目指し、将来は重役まで登りつめ、高い目標を抱く方もいるでしょうが、家庭と子供の将来を考えると、「お金を稼ぐことが生きる目的」にせざるを得ないはずですね。

しかし、その原点が最初に話した三輪空の思想に近いものがあれば、お金という手段を使って自分の子供に恵みを与え、家族のために額に汗水流して働く目的ができます。

ここで不思議なのが、「お金があるから家族を持てる」のか、「家族をもったからこそお金が必要」というパラドックスです。

倹約から得られるものは実は少ない

日本の文化として、世界的に非常に知られている一つが「禅」です。この文化は、仏教の原点でありインドのサンスクリット語の音読みの略で、また座禅を略した言葉になっています。 座禅は苦行の一つとして一般的には理解されていますが、始祖である釈迦の説法では、なんでも望めば手に入る享楽や対極である断食も実は否定し、そのどちらにも偏らないき生き方が正しく本当の道と語っています。 執着と所有欲を満たす生き方を改め、「托鉢」で無料で他人から分けて貰ったものを好き嫌いなく有り難く食べるのが、精進料理のいわば”原型”です。 ”物事を正しく観察して、戯れ、荘厳、装飾のためではなく、飢餓を去らせ修業に耐えるだけの体を作るために食事は摂るもの” しかしながら精進料理は仏教の多いアジア圏では生まれませんでした。 やがて中国へ仏教が伝来した時には、文化の違いにより托鉢だけでは無理があり、多くは貴族や有力者などの援助で成り立っていたそうです。 しかも修行をする寺院はどれも辺境の地にあり、農家も周囲にいないことから、自給自足生活には限界があったんですね。 当時の仏教は所有と蓄財を禁じているので、労働行為を罪としていました。僧侶が田畑を作れば必ず害虫を駆除して不殺生を破ることにもなります。 しかし仏教の教えに「現世をより良く生きる」ことを前提にしているため、労働を作務(さむ)とし、畑を耕すこともこの労働の中に組み入れました。 「働かざる者食うべからず」とは、本来修行の一つである畑仕事をしないのなら、それを食べる資格はないという意味で、中国南宋禅中洪州宗の禅僧、百丈懐海の「一日不作一日不食」から来ています。 仏教には最低限必要なものを摂るという原則があるため、労働と生産がある代わり、自制心として自ら法を作ったのは必然でしょう。 不必要な人間の暴走を止めるのが、精進料理の始まりです。 節約しても、それが後の贅沢のためにあるなら、それは仏教の世界では無意味ということなんですね。 倹約とは無駄を省くためであり、つまりは手元に最低限しか残らせないということです。 それは目的ではなくどのように生きるか?を考えることにあるといえます。 お金がないことが決して貧しいことではなく、幸せと不幸の比較は常に他のところにあるのではないでしょうか?

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