専門家に騙されるな!「原因」と「結果」の法則その1

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「因果関係」について理解し、嘘に騙されないようにしよう

私達は日頃から色々なことを考えますが、その中でも「因果関係」について推論していることは実はとても多いのです。

しかし同時に正しい結論が導き出されているものは、意外と少なかったりします。
 
特に「経済ニュース」に関しては、専門家の経済的な主張を含めて、因果関係に関する検証が不十分なままに、あたかもそれが真実であるかのような発表がされているものが結構あります。

「経済」は私達のお金の問題に直結するものですので、そのような嘘や偏りのある情報を鵜呑みにしてしまった結果、私達の身に直接実害が生じることすら有り得ます。

そのため自己防衛手段として、その主張の「真偽」を見抜くための目が必要となるのです。
 
そこで今回は「因果関係」の検証について例を挙げて掘り下げてみます。

その「因果関係」本当に正しいの?経済現象の「原因」について

 
何年か前に、あるエコノミストが「(昨今の円高基調は)日米の金利差によって円高になったものだ」という主張をしていました。

本当はもっと冗長で様々な枝葉がついた発言だったのですが、趣旨を要約すると「昨今(当時)の円高の原因は金利差なのだ」といっていたことになります。
 
この主張について、皆さんはどう思われるでしょうか?
 
あまり注意を払わずに聞くともっともらしく聞こえてしまいがちなこの主張ですが、実はおかしい部分があるのです。

確かに部分的には真実でもあるのですが、実は、この人は職業のわりに物事の「因果関係」ついてあまりよく理解していなかったとしか思えないような主張なのです。
 
なぜそういえるのでしょうか?それを理解するためには、「因果関係」について正しく知る必要があります。

「因果関係」とはある現象(事実)が原因となって別の現象(事実)が引き起こされるという関係ですが、では、ある出来事が別の現象の原因であるというのは、厳密にいえばどういうことなのでしょうか?

ある一つの結果があったとして、それに関係のある沢山の出来事があった場合、そのうちのどれを原因と特定すればよいのでしょう?
 
たとえば「(F1のレースで)このチームが何度も勝利を収めている理由(原因)は、ドライバーの腕がいいからだ」という場合、F1に興味の無い人は特に何の疑問ももたずに受け入れてしまうかもしれません。

しかし、詳しい人からみれば「車種」や「エンジン」などの違いも勝率に関係していると考える可能性だってあります。
 
このように私達が日常的に使っている「原因」と「結果」という概念は実はかなり曖昧なものであり、よく考えずに使うと弊害が出ることもあります。

そこで、まずは「原因」とは厳密にどういうものであるかを考えます。

「原因」にも色々あるのです

 
物事の「原因」について考えるにあたっては、まず「必要原因」と「十分原因」を区別して考えるとよいでしょう。

「必要」とか「十分」なんて用語を聞くと、学生時代に数学の授業で「必要条件」と「十分条件」なんて用語を勉強したことを思い出した人もいるでしょう。

基本的な考え方はこれと同じです。

「必要原因」というのは、「それ(その出来事や現象)が起こらなければ、その結果は絶対に発生しないという原因」のことです。

言い換えれば、Aという出来事がなければBという出来事は絶対に起こらないという場合、AはBの「必要原因」だということです。
 
たとえば私達が「物を見る」ためには「光の存在」が不可欠です。

だから「光の存在」は私達が「物を見る」ための「必要原因」ということになります。
 
では先の例で、「F1チームの勝利は優秀なドライバーである」という主張について考えてみましょう。
 
無論、F1レースに参加するには、とりあえずどんな腕であってもプロのドライバーは必要となるでしょう。

ドライバーがいなければレースには出られません。

しかし、仮にドライバーの腕がごくごく平均的なものであったとしても、優秀なメカニックが車の状態をすばらしいものに仕上げることができればレースには勝てるかもしれません。

極端なことをいえば、優勝候補だといわれている他のチームが全てアクシデントや事故で途中棄権してしまえば、初出場のドライバーであっても勝利することは可能です。
 
つまり「優秀なドライバー」という条件がなければ絶対に勝利できないというわけではない以上、これは「必要原因」とはいえません。
 
一方「十分原因」とは、「それ(その出来事や現象)が起これば、とりあえず結果をもたらすことができる原因」のことです。
 
たとえば「柔道で勝利する」ための十分原因とは何でしょうか?柔道で勝つためには、とにかく相手から「一本」をとればいいわけですが、他にも「技あり」を2回とってもいいし、寝技を決めて一定秒経過してもいいわけです。

これらのどの出来事でも柔道の勝利の「原因」となりうるわけですから、これら一つひとつは柔道で勝利するための「十分原因」なのです。
 
たいていの場合、ある現象が発生したとき周囲の出来事をその原因として挙げることができます。

そしてほとんどの場合、このうちのある出来事はその現象が起こるために必要な要素となります。

つまりその出来事のうち一つでも欠ければ現象は発生しないことになります。

これらの出来事すべてがその現象の原因であり、そしてその出来事すべてが起これば必ずその現象は起こるわけです。

したがって、それらの出来事の全てを含めることではじめてその現象が起こるための「十分原因」ということになります。
 
かなりややこしいですが、要は「必要原因」というのは「その事実がなければ、絶対に結果が起こらないもの」であると同時に「その事実があっただけでは、必ずその結果が起こるとはいえない」ものです。
 
そして「十分原因」というのは「その事実さえあれば、その結果が起こるもの」ですが、同時に「その事実だけが、結果を引き起こす条件とはいえないもの」ということです。

 

「必要原因」は無数にあることが多い

 
物事を推論する方法において、よく「演繹法」とか「帰納法」なんて言葉を聞くことがあります。

細かい説明などはこの記事では割愛しますが、要は「演繹法」とはいくつかの「前提」をもとに論理をつなげていって結論を導きだす方法で、「帰納法」とは「それぞれの現象(事実)」から一般的な結論や法則を導き出す方法です。
 
簡単な例を挙げると、今の我が国には「赤信号で車は停車しなければならない」という「ルール(①前提)」があります。

そして今まさに「目の前の信号が赤である」という「②事実」があったとします。この①と②から導き出される結論は「信号が変わるまで(車を止めて)待っていなければならない」ということです。この結論は①と②から「演繹的に」導き出された結論です。
 
それに対して「帰納法」は、個々の事象である「A社製のエアコンはすぐに壊れた。A社製の冷蔵庫も壊れた。

A社製の洗濯機も壊れた・・・」という事実を積み重ねていき、共通事項を探していきます。

そこから「A社製の製品は壊れやすい」という結論を導き出します。

事実を集め、それらの共通項を見出すことで結論を出すのです。

さて今挙げた「演繹」と「帰納」の例ですが、双方のどちらがより確実性があると判断すべきでしょうか?

おそらく前者の信号の例の方が確実であると思うのではないでしょうか?A社の製品の方も、壊れやすいというのは真実である可能性は高いでしょう。

しかし信号の例ほどではないと感じると思います。

(※当然、演繹法にも欠陥はあります。例として「前提の真実性」などが挙げられますが、この記事では割愛します。)
 
なぜかというと、帰納的に導き出された結論では、その結論を支持するために示された証拠(事実)の量や質によって、結論の正しさを可能性で示すしかないからです。

A社のエアコンや冷蔵庫は駄目でも、テレビは長持ちするかもしれません。
 
このように帰納法では、共通項や類似性を探すという性質上、個々の事実と結論の結びつきは必ずしも正しいとは限りません。

帰納的に導き出された結論が完全に正しいかどうかは決定できないことの方が多いのです。

共通項やパターンを探すといっても、全ての共通項をもれなくチェックできるということは稀です。
 
そして、これを先ほどの「必要原因」という概念に当て嵌めてみるとより理解が進むと思います。
 
繰り返しになりますが、「必要原因」というのは「その事実がなければ、絶対に結果が起こらないもの」であると同時に「その事実があっただけでは、必ずその結果が起こるとはいえない」ものです。

つまり、一つひとつの出来事(事実)を集めてある結果が発生することを「帰納的」に導き出したとしても、必ずしもその結果が起こるとは限らないのです。
 「必要原因」と考えられる事象は「無数」にあることが多いです。

たとえば「Aという資格試験に合格」するための「必要条件(原因)」は何でしょうか?

「十分な勉強」と答える人もいるかもしれませんが、実はこれは違います。

なぜならば、一生懸命勉強した受験生は合格する可能性は高くなるかもしれませんが、なかには全く勉強せずに合格してしまう者もいないとは限らないからです。
 
この例において、必要原因の一つと考えられるのは「試験会場に行って試験を受ける」ということです。

馬鹿らしいと思われるかもしれませんが、まず試験を受けなければ合格は有り得ません。

それに「失格にならない」ということも必要原因といえるかもしれません。

不正行為を疑われて受験資格を取り消されたりすれば、合格などできないからです。

やや屁理屈っぽく感じられるかもしれませんが、こうして合格のために必要な条件を考えていくと、様々な要素が浮かんできます。

同時に「この事実とこの事実があれば、絶対確実だ」ともいえないこともわかります。

「必要原因」は数え切れないほど沢山ある場合がほとんどであるとおわかりいただけるでしょう。
 
どうしてここまで理屈っぽく説明するのかというと、「必要原因」を「十分原因」だと思い込んでしまっている言説が世の中に溢れているからです。

安易に「この現象の原因はこれに違いない」と(「十分条件」として)認識していても、実は他にもその結果が起こるための条件が隠れていることも多いものです。
 
無論、ここまで大げさに考える必要などないのですが、物事の原因を考えるという行為は実はとても難しく、じっくりと腰を据えて取り組む必要があると思います。
 

「十分原因」が唯一の原因であるかのように語る専門家

 
では、この「必要原因」「十分原因」そして「演繹」や「帰納」の考え方を駆使して、先のエコノミストの「金利差こそが円高の原因だ」という主張について考えてみましょう。
 
結論をいってしまうと、確かに金利差は円高要因ともなりえます。それは間違いありません。

一般的に、アメリカの金利が日本よりも高いと円安が進み、金利差が縮小すると円高が進む傾向になります。

ただし金利差については、どちらかの国の金利が発表されると為替レートに影響を与えますし、場合によっては、それが発表される前から為替がその方向に進む場合もあるのです。
 
ですので、金利差が為替に影響を与え、円高にシフトさせたという事実は否定しきれるものではありません。

しかしこの主張は、これまでの例に当て嵌めて表現するならば「十分原因」の一つでしかないですし、これはあくまでも「短期的要因」なのです。
 
実はそれだけが当時の円高の原因ではなかったのです。

むしろ当時の経済状態で円高の最も大きな原因は「デフレ(の長期化)」でした。

「長期的視点」でみて、長い間我が国が円高に苦しんでいたのは明らかに「デフレ」の影響です。
 
まず基本的なことから確認すると、ドルに対して円が多ければ円安に、少なければ円高傾向になります。ここまではいいでしょう。
 
そして、物価の水準は長期的にみれば、国内に流通している貨幣の総量と強い相関が認められます。要は、国内のモノやサービスに対して相対的に貨幣が多かったり、たくさん使われるとインフレとなり、逆の場合はデフレ傾向になります。
 
そのためお金の流通が少なく結果としてデフレ基調にあるときは、円がドルに対して相対的に少ないため、極端な円高になってしまうのです。

そしてデフレになると、資金需要や消費の減退が起こります。国民の所得が減っていくことになるのです。

我が国ではこの状態が10年以上も続いていたことになります。
 
しかしこのエコノミストはデフレの影響を頑なに否定し、昨今の円高基調は金利差の影響しか有り得ないという主張を繰り返していたのです。

彼は「十分原因」について、それだけが「結果を引き起こす条件とは限らない」ということに気付いていなかったのです。
 
私達は、相手が専門家の場合はどうしても彼らの主張を盲目的に受け入れてしまいがちです。

しかし、よくよく聞いてみるとこのような「因果関係」について正しく理解していない人も多数いるので注意して聞くことをお勧めします。 
 

「因」と「果」を理解しよう。

「因果関係」を正しく認識するのは、実はとても難しいものです。 しかし明らかに「必要原因」や「十分原因」について理解せずに議論されていることが多すぎるのが今の社会ではないでしょうか? 「因果関係」について理解することは、そのような「トンデモ」な主張に騙されないようにするために必要なことなのです。 日常的に考え続ける必要はありませんが、専門家の主張などを聞くときは、意識して聞いてみるとよいでしょう。 ※参考文献一覧 E.B.ゼックミスタ・J.E.ジョンソン(1996-2002)『クリティカルシンキング‐入門編』(宮元博章・道田泰司・谷口高士・菊池聡訳) 北大路書房. E.B.ゼックミスタ・J.E.ジョンソン(1997-2002)『クリティカルシンキング‐実践編』(宮元博章・道田泰司・谷口高士・菊池聡訳) 北大路書房. 中野明(2013)『ポケット図解 「論理思考」の基本が身につく本』秀和システム.

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