ユダヤ人とお金の軌跡1‐「歴史」に見る「お金」シリーズ

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「ユダヤ人」についての歴史を知ることで、金融史に詳しくなろう

「ユダヤ人」と聞くと、どのような印象をもつでしょうか?「お金」に興味のある人にとっては彼らの生き方や考え方はとても参考になるという人も多いでしょう。

事実として、多くの金融やビジネスの分野で活躍しているユダヤ人は多く存在しますし、お金に関する考え方には非常に示唆を与えてくれるものが沢山あります。

今回はそんな「ユダヤ人」と「お金」の関係について歴史に基づいて紐解いていきたいと思います。

「ユダヤ人」とは?

「世界のお金の流れ」を考えるとき、多くの人が思い浮かべるのが「ユダヤ人」の存在でしょう。

巷にもお金の取り扱いに関してユダヤ人に学ぶというような本が沢山あります。それだけ彼らに対しては「金融」のイメージが強いのでしょう。
 
しかし、ユダヤ人は古代ローマ帝国や欧州列強のように、強大な国を築いて世界経済を支配した、などという時期はありません。

世界史に詳しい人ならご存知でしょうが、彼らは長い間、流浪の民だったからです。

さらに注意しなければならないのは、「ユダヤ人」といっても様々な人々がいるということです。

「お金」に興味のある人々の間でもっとも有名なユダヤ人といえば、いわゆる「ロスチャイルド家」ですが、彼らの家系以外にも経済の様々な分野で活躍しているユダヤ人達は多くいるのです。
 
それでは改めて「ユダヤ人の定義」とは何でしょうか?

多くの人が、この定義を曖昧なままユダヤ人を捉えています。

むしろ、この定義の難しさこそがユダヤ人についての様々な憶測が尽きない原因となっていると思われます。
 
一般的にいわれるユダヤ人の定義としては、ユダヤ人の母親から生まれた者がユダヤ人であるとされています。

または「ユダヤ教に改宗し、他の宗教を信じない人」という定義も存在します。

しかし、これらの定義を読めばわかるように「人種」としてのユダヤ人を定義することは現実的に不可能であるし、まして後者の場合、それは「ユダヤ教徒」という意味にもなり、正規の手段でもってユダヤ教に改宗すれば誰でもユダヤ人になれてしまうということになります。

これほどに曖昧なものなのです。事実として、日本人の感覚からすると「黒人」のユダヤ人もいますし、一見アジア人にしかみえなくてもユダヤ教を信奉している人も多くいます。
 
ですが、多くの人が「ユダヤ人」としてのアイデンティティを持って、社会からもそのように認識されているのは私達のよく知るところでしょう。

中東問題などでよく耳にする現在の「イスラエル」という国も、必ずしも大国ではありませんがユダヤ人の国家としての地位を確固たるものにしています。
 
それに今では種種雑多な人々をユダヤ人と呼称する場合が多いといっても、彼らの「起源」とされる人々は、古代においてもイスラエルという国をもっていました。
 
どのような経緯を経て、今の私達が認識している「ユダヤ人」が誕生したのでしょうか?

このことを知るには、彼らの起源についてよく知ることが早道です。

しかし実は、彼らの歴史は「奴隷」の歴史であったといっても過言ではありません。

「ユダヤ人」の起源と「奴隷」としての歴史

 
すべてのヘブライ人(後のユダヤ人)の祖といわれる「エイブラハム」が、メソポタミアの「ウル」から部族を引き連れて「カナンの地」へと入ったことは、有名な伝説として知っている人も多いでしょう。

「カナンの地」とは現在のイスラエル周辺といわれています。

しかし紀元前17世紀頃に、ヘブライ人は古代エジプトに集団移住して奴隷になったとされています。

この辺りの詳しい事情は諸説あったりしますのではっきりとしたことはいえませんが、いずれにせよヘブライ人達は長い間そこで不遇の奴隷として扱われていました。

その集団をまとめてエジプトを出ようとしたのが、有名な「モーセ」です。

映画にもなった海が割れるシーンを思い浮かべる人も多いでしょう。

聖書でも「出エジプト記」にその辺りのことが記されています。
 
モーセに率いられたヘブライ人達は、再びカナンの地を目指します。

その途中、シナイ山の山頂で神と契約をして、いわゆる「十戒」を受けて石版を貰うというエピソードは有名です。

これが徐々に原始宗教という形になり、後の「ヤハウェ信仰」となっていきます。
 
この唯一の神であるとされた「ヤハウェ」への信仰を国教として、紀元前10世紀頃に古代イスラエル国家ができたのです。

この国で統一イスラエルの王となったのが、宿敵とされたペリシテ人を倒したサウルという王様です。

そのサウルの嫉妬を買い命を狙われるも預言者であるサムエルに認められ、頭角を現したのが有名な「ダビデ王」です。

巨人ゴリアテと闘っている姿で知っている人も多いでしょう。
 
ダビデ王の時代を経て、その息子のソロモン王の治世で古代イスラエル王国は栄華を誇ることになりました。

しかしソロモン王の死後、古代イスラエル王国は北の「イスラエル王国」と南の「ユダ王国」に分裂してしまうのです。

北のイスラエル王国は後にアッシリアによって滅ぼされ、南のユダ王国はエジプトに征服されてしまいます。

それを発端として、かつてのユダ王国は係争地として戦いの場となってしまい、最終的にはバビロニア王国によって滅ぼされてしまうのです。
 
そしてバビロニアに滅ぼされたときに起こったのが、世界史の教科書でも有名な「バビロン捕囚」という出来事です。

かつてのユダ王国の人々は捕虜となり、バビロンに連れて行かれ、再び奴隷として扱われることになってしまいました。

実はこの時の旧ユダ王国の遺民をもって「ユダヤ人」の誕生とするのが通説です。
 
先程はヘブライ人は後のユダヤ人であると括弧書きで示しましたが、より厳密に言えば、「ヘブライ人」とはもともと古代イスラエル王国が南北に分裂するまでの時代の人々をいいます。既に述べたように、北の王国はアッシリアに滅亡させられて、その後の行方について詳しいことはわかっていません。

そして南のユダ王国の民はバビロン捕囚によってバビロンに奴隷として連れて行かれたのです。

彼らをもって「ユダヤ人」と呼称するということです。
 
その後のユダヤ人達はペルシアのキュロス2世によって解放され、エルサレムに帰還しました。

そこで古代ペルシア帝国の支配下で自治国として復興し、現在のユダヤ教の教義もこの頃に決まったとされています。

有名な「最後の審判」という考え方が固まってきたのもこのあたりです。
 
ここからのユダヤ人達は、様々な大国の動きに翻弄される歴史を辿っていきます。

アケメネス朝ペルシアからマケドニア帝国、そしてセレウコス朝シリアというように、大国の栄枯盛衰に従って次々と宗主国が入れ替わるのですが、最終的にはローマ帝国の支配下に入ります。

実は、この時代までにユダヤ人達は「貸金業」を営んでいたという記録が残っています。

たとえば、古代バビロニアには「ムラシュ商会」といわれる「金貸し」会社が存在したことがわかっていますが、実はここには数十人のユダヤ人が出資をしていたのです。

そしてエジプトなどにもユダヤ人が貸金業を営んでいた記録が残っています。
 
時代に翻弄されながらも、彼らは生きるために「金融」をいう技術を学び生かしていたことがわかります。

ローマに対する反乱‐「ユダヤ戦争」

 
紀元前後には、ローマ帝国の後ろ盾を得た「ヘロデ」という大王により、イスラエルにはヘロデ王国がつくられます。
 
しかし、ヘロデ王の死後、ローマ帝国とユダヤ人達との関係が悪化していきました。

当時のローマ帝国は、基本的には支配した土地に住む人々の文化を尊重していました。

しかし、ギリシアなどをはじめとして、当時の地中海世界では多神教文化が常識だったのです。

当然、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しに高まっていたのです。
 
そして、ついにユダヤ属州にてユダヤ人達が大規模な反乱を起こします。

それが(第一次)ユダヤ戦争と「バル・コクバの乱」といわれる第二次ユダヤ戦争でした。

この第二次ユダヤ戦争によって、ユダヤ人達は完全に鎮圧されてしまいます。

この際、時のローマ皇帝ハドリアヌスはユダヤ属州という呼称をシリア・パレスチナと改名します。

これはユダヤ人達の文化を奪うという目的でした。

当時のローマ帝国は基本的に政治と宗教は分離するという考えの下で国政が行われていましたが、ユダヤ教は厳格な一神教であり、ユダヤ人達は多神教文化にはとうてい馴染めなかったのです。
 
ちなみに、この時期にユダヤ教の「改革者」として現れたのが「イエス」です。

彼は当時のローマに対する反政府運動を決意しますが、失敗して政治犯として処刑されてしまいます。

それが後のキリスト教として昇華されていくことになります。

「ディアスポラ」の実態とユダヤ人による金融システムの起源

「ユダヤ人」というと、想起される言葉に「離散(ディアスポラ)」いう言葉がありますが、これは元々の国や民族の居住地を.離れて暮らすことを指し、またそうした状況にある民族の集団を指すこともあります。

多くの民族に適用されうる言葉なわけですが、「ディアスポラ」というと、どうしてもユダヤ人のイメージがついて回ります。

より厳密には、先の第二次ユダヤ戦争によりローマ軍に鎮圧された人々が、迫害を恐れて全世界に「離散」したというのがよく知られている認識でしょう。
 
しかし実際には、いわゆるヘレニズム文明が咲き誇った時代から、ユダヤ人達は地中海貿易の担い手として地中海の各地に「離散」していたのです。

そして彼らが武器としていたのが「金融システム」でした。
 
エジプトのアレクサンドリアなどに大きなコミュニティを形成していたユダヤ人達は、彼ら独自の横の繋がりを生かして交易事業などを行っていたのです。

その背景としては、多神教が大多数を占めるローマ帝国などの地域にはどうしても定住しづらく、その地で農業などをすることが難しかったことが挙げられます。

そこでユダヤ人達は、各地を転々としながら商業を営むようになっていったのです。

つまり、ローマ帝国によってユダヤ人が迫害され始めた前後から、既にイエメンやエチオピアなど世界各地で、彼らは様々な商売を行っていた記録が残っています。
 
各地に放浪するということは即ち、各地域の情報を多く持つことができたということです。

各地に「離散」していたユダヤ人達は、自分達のネットワークを使いながら、「生きる術」として交易や「金融業」を営んでいたというのが実態でしょう。

その技術を発展させる形で、現在のユダヤ人達にも繋がる様々なお金儲けの「ノウハウ」が蓄積されてきたと考えられます。
 
ただし、注意しなくてはいけないのは、全てのユダヤ人がいわゆる「金融業」などの商売をしていたわけではないということです。

当然、ユダヤ人の中には金持ちや貧乏人もいました。

ローマに支配されていた時期には、徴税の請負人などの職業に就いていた者もいたようです。

しかし、今ではユダヤ人といえば「金貸し」などの「金融」のイメージが強く残っています。これはどうしてでしょうか? 

次回は、その辺りをより詳しく掘り下げてみたいと思います。
 

「ユダヤ」の歴史について知ろう

「お金」の扱いに長けているというイメージをもたれがちな「ユダヤ人」ですが、彼らの歴史について紐解いてみると、一般的には知られていないような歴史も多く存在します。 歴史に基づいて彼らの実態をより深く知ることは、「お金」に関する正しい洞察を得るためのヒントとなります。 ※参考文献一覧 ジョナサン・ウィリアムズ(1998)『図説お金の歴史全書』湯浅赳男訳,東洋書林. 坂谷敏彦(2013)『金融の世界史』新潮社. H.G.キッペンベルグ著(1986)『古代ユダヤ社会史』奥泉康弘・紺野馨訳,教文館. 大村大次郎(2015)『お金の流れでわかる世界の歴史』KADOKAWA. 灘耕太郎(2008)『ユダヤ・マネー‐なぜ彼らは世界経済を動かし続けるのか』あっぷる出版社.

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