シャープは再建できるのか?

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台湾企業がシャープを支援する意味とは?

   
先日、日本のメーカーである「シャープ」が、台湾の企業「鴻海精密工業」と支援に関する「合意書」を結んだと発表しました。

「液晶技術」で世界を席巻したシャープですが、ここに至るまでに何があったのでしょうか。

シャープの歴史

  
 シャープは1912年、早川徳次氏が東京で創業しました。

徳尾錠というベルトのバックルの発明が、事業の始まりです。

その後1915年、金属製繰出鉛筆(早川式繰出鉛筆)を発明した後、商品名をエバー・レディ・シャープ・ペンシルに変えました。

これが、アメリカで爆発的にヒットし、社名を「シャープ」にしました。

しかし、1923年に関東大震災により、シャープペンシル工場を焼失した結果、早川氏は家族もすべて失い、大阪へ移り再起を図りました。

1925年に、鉱石ラジオをシャープの名前で発売し、戦前の主力商品となりました。

戦後、総合家電では松下電器産業やソニーが台頭し、営業・販売力においてこの2社に圧倒的な差を付けられていた上、シャープ製のテレビ(ブラウン管はアメリカ等海外製)が突然発火して大火事になった事件などもあり、低迷の時代が続きました。

1962年、日本の家電企業で初めて電子レンジを発売(当初は業務用)し、1966年には世界初のターンテーブル方式の電子レンジを開発しました。

また1963年には、太陽電池の量産を開始していますが、太陽電池は現在でもシェアは世界2位です。

なお、一般の電池(乾電池、二次電池など)は生産していません。

さらに1964年には、オールトランジスタダイオードによる電子式卓上計算機(世界初)を開発しました。

その後のカシオなどとの電卓戦争の中で、表示部品としての液晶技術の開発を始め、1973年に、液晶を表示装置に使ったCMOS化電卓(世界初)を開発しました。

この経験が、「液晶のシャープ」と呼ばれる現在につながっていきます。

他にシャープが得意とする製品としては、ファクシミリ、パソコン並みにモデルチェンジをする電子辞書、電子レンジ、近年ではコピーなどの複合機、カシオと競い合う電卓、更に液晶テレビAQUOS、そこから発展したAQUOS携帯電話などユニークな製品がラインナップされています。

さらに、2009年からはLED電球の発売により家庭用照明事業にも参入しています。

なお、液晶事業への投資増もあり、半導体事業はCCDなどのイメージセンサーや画像処理LSI、液晶駆動用LSIなどに集約されています。

以上のように、シャープは独創的な商品開発で知られ、業界初や世界初の商品を数多く送り出しているのです。

シャープの技術力

   
現在まで、シャープは「先進的な部品を開発しその部品を元に特徴的な商品を生み出す」流れと、「商品に使われることによって部品の目標が明確になり性能が向上する」という流れの循環で成長して来ており、シャープではこれを「スパイラル戦略」と呼んでいます。

近年では、スパイラル戦略に加え、他社にない部品や商品を作り出す「オンリーワン戦略」を掲げています。

組織の特徴としては、「緊急開発プロジェクト制度(緊プロ)」という1977年に作られた制度があります。

この制度では、社長直轄で複数の部署から人材が集まり、技術や開発に当たるチームが結成されます。

この制度によって、部門にとらわれない自由な発想の商品を生み出すことができると言われています。

企業スローガンは、コピーライターの前田知巳氏が書いた「目指してる、未来がちがう。」(2010年1月 ~ )です。

1990年~2009年までは、同じくコピーライターの仲畑貴志氏が書いた「目の付けどころが、シャープでしょ。」を使用していました。

1998年からの一時期は、「シャープになろう!」や「液晶でトキメキのある生活」に変更していましたが、「液晶のシャープ」の印象が定着し、キャッチコピーとしての役割を十分に果たしたことから、2002年になって知名度・好感度共に高かった以前のキャッチコピー「目の付けどころが、シャープでしょ。」を復活させました。

2000年から2006年まで、太陽電池・太陽光発電のモジュール生産量は世界一でした。

また、国内では、唯一の宇宙開発事業団認定企業でもありました。

現在では、環境先進企業を目指して、太陽電池事業を強化しているほか、工場でも排水を100%再利用するなどの取り組みを行っています。

2009年10月には、堺市に世界最大規模で第10世代マザーガラスに対応する液晶パネル工場を含む「グリーンフロント堺」を稼動させ、世界的に回復拡大する液晶関連需要に対応しています。

「グリーンフロント堺」には、旭硝子、大日本印刷やコーニングなど液晶パネル関連部品を供給する企業19社も進出し、業種、業態を超えた「21世紀型コンビナート」を形成しています。高効率と省エネ、太陽光発電などによる「世界最先端環境工場」を謳っています。

また、2010年3月には、同じ敷地内に薄膜シリコン太陽電池工場も稼動させ、急拡大が見込まれる世界的な太陽電池の需要拡大への対応を図っています。

パソコン黎明期においてMZ-80KやX1などを生産し、日本のパソコン業界大手の一社であった他、それらの一部は海外でも商品展開されました。

日本での参入はしなかったものの、8ビット機時代の共通規格であるMSX機もブラジルの現地法人「シャープ・ド・ブラジル」で製造・販売していたこともありました。

その後、Windowsが台頭する時代になるにつれ、NECなど黎明期からの大手PCメーカーの他、大手家電メーカーや台湾メーカーなどがシェアを伸ばし、それに伴い、徐々に苦戦を強いられ、シェアは小さくなっていきました。

液晶の技術を活かしてノートパソコンの生産なども行っていました。

インターネットAQUOSなどの個性的な商品を出すも総じてスペックの割に高価格で人気が出ず、デスクトップやノートパソコン等一般的なパソコンは生産を終了、ウルトラモバイルのみにラインナップは縮小されていきましたが、2010年10月21日、それらを含む同社のパソコン生産が終了したことが判明しました。

シャープの経営状態

シャープの危機は、発展そのものに埋め込まれ「オンリーワン」「基礎材料メーカー」をめざした中で、液晶の市場規模が小さいときにトップシェアとなり、松下(パナソニック)陣営のプラズマディスプレイとの戦いに勝ち、売り上げを数十倍に伸ばし小さな町工場を世界企業に育てた中でおごりが生まれたと言っても過言ではありません。

しかし、社内で「液晶」についての批判はタブーとなっていました。

液晶に賭けた「一本足経営」と、実質的無借金経営から借金漬けの経営になったため、経営陣の内紛、戦略の失敗、経済危機などがそのまま経営危機に直結したのです。

中興の祖の佐伯旭一族が、1959~2012年の53年間、実権を握り続けていました。

このことが、技術重視の姿勢が貫かれ、力を生み出すと同時に営業を軽視することにつながったと言われます。

また、液晶テレビや太陽光発電など膨大な投資を必要とするものは、減価償却後の利益で次の投資をするのが基本ですが、シャープは新しいものを作った後が続いていないという、経営の失敗が原因とする見方もあります。

シャープの危機は、2006年8月、月産3万枚の第8世代大型液晶を製造する亀山第2工場(2012年8月現在稼働率30%)の建設から始まるとする見方が、大勢です。

藤森裕司氏(ゴールドマン・サックス証券アナリスト)は、2010年に「亀山第二工場を作ったため、自社でさばける量以上の生産能力を持ってしまった」と言っています。

よく指摘されるように、シャープは世界市場を見て海外生産に踏み切るべきタイミングを見誤り、国内生産にこだわったことも一因ですが、その他に様々な複合的な要因が重なり、液晶への「選択と集中」は破綻し、一気に危機を表面化させました。液晶や太陽電池の設備企業は、シャープ以外の企業にも設備を外販しています。

液晶も太陽電池も、同一の生産設備を使うかぎり、品質の差が小さいのです。

その場合、コストが圧倒的に安い開発途上国の製品が市場を押さえることになります。

太陽電池に例をとれば、ドイツのQセルズは2008年に世界1位となりシャープと争っていましたが、市場の需要は生産能力の半分といわれて2011年の1年で価格は半分になっているため、2012年4月に倒産し、8月に韓国企業に買収されました。

2008年3月期に過去最高の1020億円の純利益(連結売上高は3兆4177億円)を記録した経験が後まで響いてしまいました。

その後液晶パネルの価格は急落し、2008年9月にはリーマンショックが発生しました。

そのため、液晶テレビおよび液晶パネル価格の大幅な下落、円の上昇、保有するパイオニア株の大幅な下落による評価損、金融危機に伴う世界的な電機製品の大幅な需要減退、販売方式変更に伴う国内携帯電話市場の大幅な冷え込みなどにより、2009年3月期決算では1258億1500万円の赤字を計上しました。

これは、上場以来初の赤字決算です。

それにもかかわらず、当時から業界内外で疑問視された堺工場を4200億円かけて建設し、2009年10月に生産を開始しました。

しかし操業率は低く、2011年3月の東日本大震災時にはほとんど稼働していなかったといわれ、2012年8月の稼働率も7~8割程度と言われています。

堺工場は稼働しなくても、年間1000億円の赤字が出るため、無理に稼働させ、販売量より多い生産をし、それを本社が市場価格より2割程度高く買い、在庫と潜在的赤字が積み上がりました。

また、ほとんど当時稼働していない堺工場の損失を、一流企業として異例の東日本大震災関連の特別損失として計上しました。

市場が高価格・大型液晶を求めていないのに、目標を転換せずにそのまま赤字体質を積み上げました。

クアトロ(通称「チーズバーガー」)が市場で受け入れられなかったことにもかかわらず生産を続け、工場に在庫が積み上がりました。

大型パネル工場では必要とされるスマートフォン用の小型液晶をうまく生産できませんでした。

また、ソニーに対して受注量を納められなかったことが、複数回ありました。東芝にも納入遅延を起こしました。

そのとき悪びれもしなかったと言います。

ソニーは出資比率に応じて堺工場の液晶を買う予定でしたが、片山社長のソニー役員に対する横柄な態度もあり、提携を解消しサムスンと組みました。

アップル向けの納入遅延を2012年3月と9月(2ヶ月遅延)に起こしています。

以上などの理由により外販が伸びず、設備は余剰となりました。

アクオスフォン用の米クアルコム製の中核半導体チップを入手できずに、自分たちの生産目標も達成できませんでした。

信用が増すにつれ、社債などの直接金融に頼るようになり、銀行との関係が希薄になりました。

独自の薄膜系太陽電池の工場を作ったために、工場の買い手が現れませんでした。

2011年8月頃から世界中で太陽電池メーカーが倒産・撤退・赤字化しているのに、撤退の決断ができなかったのです。

結局、シャープが現在の危機に直面している最大の要因は、液晶に投資しすぎたということです。

液晶関係で亀山工場と堺工場だけでも、投資額は9450億円です。

自己資本比率は亀山以前の2001年33月期には47.%ありましたが、2012年6月末は18.7%になりました。

販売の7割を液晶に頼る「一本足経営」となり、液晶市場の不振が屋台骨を揺るがすことになったのです。

シャープと台湾企業

   
今回、シャープの支援を強くアピールしたのは、台湾の企業「鴻海精密工業」の郭台銘会長です。

郭会長が狙っているのは、もちろんシャープの高い技術力です。

シャープとの協議後にも「私の資金でシャープの液晶技術を世界一の頃に戻す」と述べています。

郭会長は、「鴻海精密工業」を一代で世界的な企業に作り上げた立志伝中の人物です。

その剛腕で、かつてトップ企業だったシャープの復活を図ろうというのです。

   
しかし、懸念がないわけではありません。

郭会長は、シャープの支援では、雇用を維持する方針ですが、40歳を超える中高年の削減には含みを残しています。

また、何よりもシャープ独自の技術が、海外に流失しないか心配は尽きません。

シャープの支援は成功するのでしょうか

    倒産の危機にあるシャープの支援について、台湾の企業が手を挙げましたが、雇用、技術の流失等、懸念材料があります。

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