「アダム・スミス」と「国富論」‐経済思想に強くなろう1

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まずは経済学の父とされる「アダム・スミス」について知ろう

経済思想というと、どこか小難しくて取っ付きづらいイメージがあるかもしれません。しかし現在の資本主義社会は様々な経済思想を背景に展開されています。

「お金」の流れについても、これまで多くの経済学者や哲学者が様々な洞察を与えてきました。経済思想を学ぶということは、お金に関する洞察を得るうえで不可欠といえる分野なのです。

そういうわけで、今回は「経済学の父」とも呼ばれる「アダム・スミス」についてみていきます。彼の思想を知ることで、現在の経済学の根本的な考え方がわかるでしょう。

アダム・スミスと「国富論」

経済学と一言に言っても、何か代表的な経済学というものが存在するわけではなく、いくつかの「学派」が存在します。

その中でも、いわゆる「古典派」と呼ばれる経済学の体系を作り上げたといわれるのが「アダム・スミス」です。経済学を知らなくても彼の名前を知っている人は多くいるでしょう。

彼は18世紀、産業革命の前に活躍した経済学者であり、今現在の経済学の基本をつくった人物として知られています。

主著としては、有名な『国富論(諸国民の富の起源と性質に関する探求)』があり、『道徳感情論』などの著作も有名です。

アダム・スミスの著作といえば経済の基礎を築いたというイメージがありますが、むしろ国家を統治する手段として「お金」というものの捉え方や商業自体を考え直さなければいけないという目的で書かれたものであると捉えるべきです。

「国富論」も前半は市場経済についてがテーマになっていますが、後半は財政や教育についてが主なテーマになっています。

政府が如何にして国をつくっていくのかという統治政策についても、資金調達の方法についてなどの運用面に関する解説が多くなされているのがこの本の特徴といえるでしょう。

つまり「国富論」とは、今に至る「経済学」の体系が出来上がる端緒となった著作であると同時に「国家の統治」に関する本でもあるのです。

実際、当時の政策当事者達にもかなりの影響を与え、史上最年少で首相となり大英帝国の礎を築いたともいえるウイリアム・ピット(小ピット)はアダム・スミスをブレーンとして内閣に招いています。

アダム・スミス自身はグラスゴー大学で「道徳哲学」の教授をしていた人物で、経済学自体もこの学問の一種として研究されていました。

経済学が独立した学問として認知されるのは、アルフレッド・マーシャルがケンブリッジ大学にて「経済学部」の創設に関与してからになりますが、いずれにしてもアダム・スミスがその学説をもって経済学の父とされることは、多くの人が認めるところです。

アダム・スミスと経済成長

アダム・スミスは「時代」でいうならば、産業革命が起こる前の人物であるといいました。

「国富論」といえば、経済成長や経済発展の基礎を描いた著作であるというイメージが先行しており、大英帝国による産業革命を背景として生まれてきたかのように思われがちなのですが、実際は、まだ産業革命が起こる前の話です。

友人には蒸気機関で有名な「ワット」がいますが、この蒸気機関が大量生産に利用される前に、スミスが大英帝国の発展の礎をその学説をもって築いたとするのが通説なのです。

彼が登場する前の世界経済というのは、人類が発生してからほぼマイナス成長あるいはほとんど成長していないような状態が続いていました。

そもそも彼によって「経済成長」や「経済発展」という概念が提唱される以前ですから、経済自体を「成長」させるという発想自体が世界のどこにもなかったのです。

「国富論」は1776年に発刊されますが、それまでの経済というのは基本的に「同じ規模の経済資源をいかに分け合うか」ということばかりに注目されていました。

少し経済学的な表現をすれば「ゼロサムゲーム的な発想の経済論」ともいえるでしょう。

ところがアダム・スミスが想定した経済というのは、経済資源(よく『パイの大きさ』などと例えられる)が同じ規模のままではなく、どんどん発展していく経済を想定していたのです。

そしていかにして「経済が発展」していくのかというメカニズムについても鋭い視点で分析を加えています。

具体的にいえば、分業と市場の関連についてや「所得分配論」などです。

特に「分業」という、生産性を増大させる仕組みと市場との関係を明示的に導入した経済体系を打ち出したわけです。

同じパイの資源を奪い合うのではなく、パイそれ自体を大きくすることで、何からのかたちで皆の取り分を増大させるような形で「経済」という仕組みを考えていくというのが、彼の基本スタンスだったわけです。

 

アダム・スミスとデイビッド・ヒューム、そして貨幣数量説

アダム・スミス以前は、停滞している経済を発展させる見解や、政策への対抗はイデオロギーが中心となっていました。

つまりは、同じ大きさのパイをいかにして多く貰うかを考えるとわかると思いますが、有効なのは権力をもって他を排除してしまうことです。

当時の商人ギルドなどはその最たるものといえるでしょう。労働者達も結託して限られたパイの獲得に励んでいました。

そして現代にも影響を与えている「重商主義」もそうです。

簡単にいえば、輸出で外国にモノを売りまくって「貿易黒字」を上げ、国内の貨幣量(金や銀など)を増やすことがよいことであるという発想です。

この考え方に批判を加えたのが、アダム・スミスの友人でもあった「デイビッド・ヒューム」というスコットランド出身の哲学者でした。

当時は貨幣と貨幣(たとえば今でいうドルと円など)を直接交換するのではなく、ほとんどが一定量の金との交換が保証されている「金本位制」を前提としていましたが、ヒュームは重商主義的な「貿易黒字はよい」という考え方に対して、疑義を投げかけました。

なぜならば、貿易黒字になるとその国は金のストックが増えていくことになります。

金が増えるということは、国内の物価が上昇し、一方で、貿易の相手国は物価が下落して経済状況が悪化することになります(今でいうデフレになるわけです)。

貿易取引国の方の経済状況が悪化しているので、当然こちらからの輸出も減少してしまうわけです。

一方で、貿易黒字を生んだ国の方は輸入が増加することになるので、初めこちら側に恩恵をもたらしていた貿易黒字は、結局「消滅」する方向に向かってしまいます。

つまり、もし貿易黒字がよいとしても、上記のプロセスの結果として黒字そのものが消滅して均衡に向かってしまうのだから意味がないではないか、というのがヒュームの重商主義に対する批判だったわけです。

そして、ヒュームのこの批判には「貨幣数量説」という概念が含まれています。

「貨幣数量説」とは、その国や社会に流通している貨幣の総量と、その流通速度が物価水準を決定しているという仮説です。

この代表的なアイデアとして、「フィッシャーの交換方程式」があります。

これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の流通速度あるいは取引水準といった概念を導入することで記述するものであり、簡単にいえば「ある期間中の貨幣数量×流通速度=物価水準×取引量」となります。

事実として16世紀のヨーロッパでは、この式のような形で新大陸(中南米)からの金や銀の大量流入で貨幣数量が増大し、結果として貨幣価値が下落して物価が上昇したといわれています。

物価上昇といっても、たとえばイタリアでは約70年間の平均で1.5%程度であり、上昇幅はそれほどでもなかったようですが、当時は「冨」の象徴ともみなされた「貨幣」としての金や銀だったわけですから、その価値が下がるというのは大変なことだったのです。

こうした背景で、物価上昇の原因を貨幣量の増加に求めるものとして貨幣数量理論が生まれてきたのです。

アダム・スミスに影響を与えたケネーと重農主義

アダム・スミスとも交流のあったフランソワ・ケネーという「重農主義」を説いたとされる経済学者がいます。

「重農主義」というのは、簡単にいえば、社会の純粋な所得というのは農業部門から生まれるという考え方のことです。

ケネーはその著書『経済表』のなかで、当時の経済全体のお金とモノの動きを描いた有名な経済論を展開し、重農主義を主張しました。そしてアダム・スミスは彼の影響を受けて自らの学説を完成させたともいわれています。

その内容を簡単にいえば、社会がどんな原因で発展していくのかということです。

『経済表』の中には、経済が「発展」するというプロセスが明示的には出ていませんが、スミスの場合にはそれを前面的に展開したわけです。
いかにすれば経済が「発展」していくのか?

既に述べたように、アダム・スミスはそこで「分業」というものに注目します。

つまり、労働の専門性とそれを高めることによる生産性の向上を説いたわけです。

また、労働をより生産的な部門に割り振ることによって、生産性を向上することができるとスミスは主張しました。

特に後者の方はケネーの影響を受けていると考えられます。

ケネーの場合は、農業部門により多くの資本や労働者を投入することで経済が発展すると主張したわけですが、スミスの場合はこれが農業部門だけに限らないと考えたわけです。

社会の諸階級(労働者、資本家、地主など)が自分達の階級を維持する以上のモノを生み出せば、それこそが社会全体の純粋な所得になるとスミスは主張しました。
ただし、スミスは「生産的労働」と「不生産的労働」を分けています。

生産的労働というのは、具体的な財(モノ)を生み出す労働であり、不生産的労働というのは、たとえば当時多くいた「名使い」などの労働が代表的なものです。
スミスは生産的労働の方が、経済の発展に貢献するとしました。

これは当時の社会事情が大きく関係していると考えられます。

というのも、スミス自身が多くの召使を抱えている地主に対して批判的な考えをもっていたとされているからです。

つまり、召使などを使うことは地主という階級自体は維持できるかもしれないが、社会にはほとんど貢献していないという考えが彼の根底にあったわけです。

そしてスミスが一番重要視していたのが、いわゆる「資本家」の役割でした。

彼は「資本家」を発展する経済の原動力であると考えていました。

そして当時から既に今でいう「起業家」の存在とその可能性も見出していともいわれます。

「資本家」とは「お金」を提供するものであり、「起業家」は事業を通して社会に新しい価値や便益を提供する者です。

当時はまだまだ「目に見えるもの」で価値を図ろうという風潮が強かったわけですが、スミスの先進的な学説は、当時の人々に衝撃をもって迎えられました。

また、高賃金を与えることによって労働者の意欲が高まり、結果として生産性が向上すると考えました。

その結果、労働者への賃金を高くした以上に将来的な見返りが望めるという考えも提唱しました。まさに経済発展を前提とした考えをしていたわけです。

このように、アダム・スミスは当時の社会では全く考えられていなかった「成長」「発展」という概念を経済に取り入れたことで、後に覇権国家となる大英帝国という国の発展に大きく寄与したのです。

経済思想を学ぶことで、「お金」に詳しくなろう

今回は「アダム・スミス」とその代表的著作である『国富論』をみてきました。 現在の資本主義社会は「経済成長」に支えられてきたわけですが、この考え方を提唱したのは経済学の父といわれる「アダム・スミス」だったのです。 そして「分業」という概念を通じで生産性を上げることができるという、当時では画期的なアイデアも提唱しました。 これらの考え方が、今に至る文明の発達に大きく寄与したことは言うまでもありません。 ※参考文献一覧 アダム・スミス(1978)『国富論 (1)(2)(3)』大河内一男訳,中央公論新社. 堂目卓生(2008)『アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界』中央公論新社. ナイアル・キシテイニー(2014)『経済学大図鑑』小須田健訳,若田部昌澄監修,三省堂.

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