「比較優位」再考‐「比較優位説」を正しく理解しよう

リカードの提唱した「比較優位」について学ぼう

「比較優位説」とは、リカードが18世紀に提唱した概念を基礎として発展してきた考え方とされています。

経済学の初学者は教科書の初めの項目で学ぶことが多い概念であるため、学生時代に既に理解していた人もいるでしょう。

この概念は経済学だけでなく様々な場面で応用できますので、この機会に基本から覚えておくとよいでしょう。

「比較優位」と様々な貿易理論

以前の記事でも軽く引用しましたが、「比較優位」は現在でも経済学における貿易問題などでよく引用される概念です。

一般的に「経済学」とは、ある制約の中で人々がいかに合理的な選択をするべきか、あるいはどういう選択こそが合理的かについて研究する学問ですが、この「比較優位」は経済学の考え方を代表している概念として扱われています。

つまり、私達は絶えず「時間的制約」や「金銭的制約」などに晒されているわけですが、そのような制約の下で、どのような選択をすべきなのか考えています。

そしてなるべく「合理的」な選択をすることを前提として、様々な状況について「このような場合はどうなるか?」を考えるのが経済学の基本なわけです。

ポイントとなるのが「資源の希少性」です。「希少性」とは、自らの欲求に対するモノの制限のことであり、そういった希少性のあるモノをいかにして効率よく取引したり生産したりしながら、私達の欲求を満足させるのかを考えるわけです。

特に「比較優位」は、そういった制約の下での合理的な選択を表すための最もわかりやすい考え方であるといえます。

ですが同時に、決して常識から出てくるような話ではありません。

たとえばポール・サミュエルソンという経済学者は、この「比較優位」を経済学の中では唯一自明ではないといっています。

つまり、普段の私達の常識からはなかなか出てこない考え方であるということです。

「比較優位」を簡単にいえば、自由な貿易を前提として各経済主体が自分達の得意分野に特化して生産活動を行うことで、互いにより高品質のモノやサービスをより多く生産・消費できる様になるというという考え方です。

以下では、これに対する概念である「絶対優位」との比較をしながら、この比較優位理論について詳しく説明していきます。

「絶対優位」と「比較優位」

「比較優位」に対して「絶対優位」という概念があります。

リカード以前の貿易に対する考え方というのは、この「絶対優位説」であり、即ち特定の財(モノ)に対して、生産性の高い国が輸出をして、低い国が輸入をすべきであるというものでした。

そうなると前者は恒常的に貿易黒字であり、後者は恒常的に貿易赤字となってしまうのはすぐに分かると思います。

このように、生産性の大小にのみ注目するのが「絶対優位説」ということになりますが、これでは様々な不都合が生じることがお分かりになるのではないでしょうか?

たとえば全てのモノで他国を上回る生産性を誇る国があったとすると、上記の考え方に従えば、その国は輸出だけをして輸入をしなくなってしまいます。

ではこの場合、輸出ばかりしている国はいかなる理由で輸出を続けるのでしょうか?

輸出ばかりしているということは、ただ自国で生産したモノを他国にひたすら売っているだけなわけです。

事実として「アダム・スミス」に関する記事でも取り上げたように、いわゆる「重商主義」のもとで恒常的に「貿易黒字」になった結果、国内に金などのストックが増えて国内物価が上昇してしまう可能性があります。

そしてその一方で、貿易の相手国は物価が下落してデフレに陥ってしまうことになりかねません。

そうなると初めこちら側に恩恵をもたらしていた貿易黒字は、結局「消滅」する方向に向かってしまうことも考えられるのです。これでは何のために輸出を奨励していたのかがわからなくなります。

このように、「絶対優位説」のもとで全ての品目で生産性の高い側に輸出を推奨したとしても、長い目で見れば様々な不具合や不都合が生じる場合があるのです。

「絶対優位」と「比較優位」を例で考えてみる

たとえばAという製品とBという製品について、日本とアメリカを比較するとします。

日本では12単位のAの生産のために10人の人間が必要で、アメリカでは30人の人間が必要だったとします。

そして日本では120単位のBを生産するのに10人の人間が必要で、アメリカでは20人の人間が必要だと仮定します。

こういう場合、「絶対優位」の考え方の下では、少なくとも日本にとっては、AもBも自国で生産したほうがいいということになります。なぜならAとBどちらの製品も日本のほうが生産

効率がいいので単価が安くなるためです。

しかしこれでは、アメリカは何を生産しても日本より高価になってしまいます。

よってアメリカからは何も輸出できず、結局両国の間に貿易は発生しません。

両国の間に貿易が発生するためには、どちらかひとつの製品についてはアメリカのほうが生産性に優位がなければならないと考えるのが、「絶対優位」の考え方です。

一方「比較優位」説では、たとえアメリカの生産性が日本より劣っていたとしても、それが均一でない限り貿易から利益が得られると考えるのです。

たとえば上と同じ数値例で言えば、日本はAの生産に特化し、アメリカがBの生産に特化すればよいのであって、それがアメリカばかりではなく日本にとっても有利であると考えるのです。

たとえば、日本は20人の労働者しか存在せずアメリカには50人の労働者しか存在しないと仮定して、両国がそれぞれの生産に特化すると、日本では24単位のAが生産でき、アメリカでは300単位のBが生産できます。

この場合、AとBの交換比率は、24/300=0.08です。

そうすると、日本では10人の人間が働いて12単位のA製品を作り、それをアメリカに輸出することで150単位のB製品を得ることができます。

これは、当初の120単位より多くなります。アメリカの側からすると、30人の人間が新たに120/20*30=180単位のBを生産するわけですが、これを日本に売ることによって、今度は180*0.08=14.4単位のAを得ることができるのです。

これは貿易をしなかった場合の12単位よりも多いことになります。

したがって、たとえ日本のほうがBの生産についてアメリカより優位があったとしても、より優位なAの生産に特化しBの生産はイギリスに任せることで、日本の消費生活を改善できるわけです。

無論、実際にどの水準に輸出・輸入量が決まるかは両国の消費者の好みに依存するわけですが、基本的にこのような「比較優位」に特化することで、生産効率がよくなるのです。

「比較優位モデル」の前提となっている数々の仮定

上記の例は、いわゆるリカードのマジックナンバーともいわれる理論の応用ですが、見ての通り、かなり現実離れした多くの仮定を置いて考えています。

まず世界中の国を日本とアメリカの2国だけに限定しており、モノも2品目しか世界で生産されていないという仮定を置いています。

そして少し難しい概念になりますが、2国の総消費が世界中の総満足になっています。

つまり上記の2品目を消費することだけで、人々は満足するという仮定なわけです。

無論、そんなことなど有り得ないわけですが、あくまでもモデルを通して基本的な考え方について理解するためのものであることに留意してください。
またそれぞれの国が、比較優位財に特化して生産するまでの過程が一切無視されていることも重要です。つまり、生産性は特化する前後で一切変わらないという仮定も置かれているということです。
より経済学的にいえば、「機会費用が一定」ということになりますが、そこまで難しく考える必要はないでしょう。

上記の例ではA・Bとしましたが、多くの場合、「ラシャ」という毛織物と「ぶどう酒」を例にとって「比較優位」について説明される傾向があるようです。

実は、リカード自身は「ラシャ」と「ぶどう酒」だけでなく「金」も交換財として考えており、さらには生産要素も「労働」だけでなく、「資本」や「土地」もモデルに組み込んで比較優位論を展開していたりします。その場合は若干話がややこしくなるのですが、基本となる考え方は同じであり、また前提として置かれている仮定もほとんど同じです。

これらの仮定があまりにも現実離れしているために、この仮定のおかしさを追及する比較優位説に対する数々の批判があるのは確かです。

ただ「比較優位」だけでなく経済学全般の理論において重要なのは、あくまでもこういった基本的な「モデル」を理解したうえで、徐々に諸条件を現実に近づけていって結果を考察するというところにあります。

ですから、まずはこういった極めて単純化した「モデル」においてどうなるのかを正しく理解することから始める必要があるのです。

ちなみに、比較優位論によって増えた分の生産物に関する「分配」の問題については、リカードはほとんど説明していません。

これを補足するかたちで、ジョン・スチュアート・ミルが「相互需要」の概念を導入したことで比較優位論を完成させたというのが通説となっていますが、これは機会があれば記事にしたいと思います。

なぜ「モデル」で考えるのか?

既に述べたように、経済学というのは、本当に基本的な要素だけを「モデル化」した上でどうなるかを考察した上で、徐々にその「モデル」を複雑化して現実に近づけていくアプローチをとります。

上記の比較優位説の簡易モデルはまさにその代名詞といえるかもしれません。

即ち、極めて単純化したモデルによる結果を元に、当初所与としていた数々の現実離れした前提を現実のものに近づけていって、結果がどう変わってくるのかを研究する学問ということもできます。

「理論」と「現実」の差を埋めていくのが「学問」ですから、そういったアプローチでもって現実の経済を説明できるように「モデル」を徐々に進化させていくわけです。

稀に「理論」を「現実」とみなしてしまうミスを犯してしまう人がいるため、この「モデル思考」自体を否定する人もいますが、基本的には「モデル」思考は多くの社会科学で応用されている考え方であり、現実に根ざした議論をする上でもその基礎を与えてくれる非常に重要なフレームワークといえると思います。

「比較優位」を通して「経済学」の基礎を学ぼう

「経済学」は「モデル」を通して「理論」を「現実」に近づけていく学問であるといえます。特に「比較優位」は経済学的思考の基礎なる考え方でもあるので、経済に興味のある人は是非知っておくとよいでしょう。 他の経済学の難しい概念と違って、日常生活にも様々な応用ができると思います。 ※参考文献一覧 D・リカード(1987)『経済学および課税の原理〈上巻〉〈下巻〉(岩波文庫版)』羽鳥卓也ほか訳,岩波書店. ナイアル・キシテイニー(2014)『経済学大図鑑』小須田健訳,若田部昌澄監修,三省堂.

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