ギリシャの財政の歴史!その驚くべき実態とは

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2008年のアメリカと、2015 年のギリシャはどう違うか?

2015年、欧州経済はギリシャショックに見舞われ、シリア内の紛争から逃げ出してきた難民の大挙受け入れも重なり、大変な年となりました。

一言で「大変な出来事」とは、必ず原因があり、表に出ないまま時間が経つことで深刻さを増していくものです。

アメリカのサブプライムローン

リーマンショック(2008年)は、5,000億ドル(当時のレートで 64兆円)もの損失を出した投資銀行、リーマン・ブラザーズが手にしていたのは「サブプライムローン」という金利の高い住宅ローン債権を集めて証券化したものでした。

住宅ローンは通常どこの銀行も横並びなのが日本ですが、アメリカでは一戸建て住宅バブルが起こっており、所得が十分でない人にまで、少々高い金利でローンを貸し付けるサブプライムローンが流行ったのです。

住宅ローンを払い続ける人は、もし収入の道が途絶え場合、購入した家を担保にしていますので、金融機関に差し出し、返済額をチャラにしてもらいます。

が、バブルが弾けてしまうと、住宅の価格は下落し、様々な産業に波及しますので、結果的にローン延滞率が高くなってしまいました。

借りて家を買ったはいいが、ローンが支払えない人たちに、貸し付けた方も担保価値が一基に下がってしまった家を差し押さえても、逆に損失が大きくなる…この悪循環が一気に訪れたのが、2008年だったのです。

これに対して、2015年のギリシャ。

人口 1,000万人に対し、公務員が100万人、労働人口の 25% つまり4人に1人が公務員として働いている国であり、55歳から年金受給が可能…こうした様々な「国民優遇政策」の結果、社会主義国特有の「経済の硬直化」に邁進していました。

ギリシャはそもそも、国の大きな産業がなく、観光と農業・漁業に頼る「のどかな南ヨーロッパ」の小国に過ぎませんでした。

それが、ユーロ圏に入ることで、より多くの観光客を呼び込み、ギリシャを一大リゾート国へと変貌できる、と踏んだわけです。

アメリカのサブプライムローンは「一企業の破綻」が世界経済に大きな影響を及ぼし、当時のアメリカ大統領 ジョージ・ブッシュは7,000億ドルを用意する法案を可決させ、一気に解決を図ります。

これに対し、ギリシャは少なくとも「ひとつの国」であり、諸外国から緊縮財政を求められようと、国民が納得できなければ、政府は倒れ続け、事態は進みません。

つまり、企業の問題を国が面倒を見るのと、国の問題を諸外国があれこれ言うのは、次元が違ってしまうのです。

実は、ギリシャは確信犯的にデフォルトを行ってきている

ギリシャの歴史は大きく2つに分かれます。

紀元前1,500年頃に栄えた「ミケーネ文明」、中でも黄金でできた人間の顔のレリーフ=アガメムノンのマスクが発見されたことで、豊かな黄金の国であった古代ギリシャがまず浮かび上がってきます。

ハインリッヒ・シュリーマンというドイツ人考古学者が、「トロイア戦争」の書かれたギリシャ神話を題材とした長編叙事詩(「イーリアス」、作者はホメーロス)を読み、実際に遺跡を掘り進めて、本物のトロイアの黄金を発掘したのは有名な話。

いわゆる「古代ギリシャ」の時代こそが、ギリシャ人の最も輝かしい時代であり、アカデミックな時代であったのは言うまでもありません。

ギリシャは欧州で初めて「銀行」を持った国であり、港湾を多く抱えていたことから、奴隷を担保とした貿易が盛んでした。

奴隷は貿易船(ガレー船)の乗組員となり、縛られたまま艪(ろ)を漕ぎます。

彼らが働くことで、貿易が盛んになり、金融業が栄えるのも理解しやすい話。

そして、こうした貿易競争が当時の都市国家の戦いに及ぶと、銀行の多額の融資は焦付き、債務不履行(デフォルト)が発生してしまいます。

紀元前4世紀、世界で初めてのデフォルトは、ギリシャで起こり、債務は80%減額されたのです。

ギリシャはローマ帝国時代(紀元前27年〜紀元395年)に国が消滅し、その後は ビザンツ帝国、オスマン帝国の支配の末、最終的に1833年にオスマントルコ軍を倒した西欧諸国によって、ギリシャ国家が再興されます。

不思議な因縁ですが、近代ギリシャの独立はドイツ人の18歳、オットー1世(ギリシャでは オソン1世)をバイエルン王家から呼び、王座に座らせます。

つまり、このときギリシャはすでに今のドイツやフランス列強の力によって、政治体制や国の体制を決められてしまったのです。

ギリシャのオソン国王の後ろ盾は、ドイツのフランクフルトで財を成した「ロートシルト家」。

日本では「ロスチャイルド家」と呼んだ方がわかりやすいかもしれません。

ユダヤ家系の金融一族は、欧州全土にシンジケートを持ち、国家財政を左右する力を持っていました。

さて、話が横に逸れましたが、ギリシャの過去200年間の「デフォルト歴」は少なくとも5回。

1826年、1843年、1860年、1893年、1932年と「忘れた頃に」起こしています。

この背景には、ギリシャ人が自らの手で政治体制を行えていないこと、そして後ろ盾である欧州やロシア、トルコの影響を歴史から深く学び過ぎていることが大きいのです。

ギリシャは世界の知の始まり、誇り深きギリシャ人ですが、彼らは他国の領土となり、他国のお金を利用して生き延び、今日またドイツの手で国の破綻をなんとかしてもらえる、と考える「節」が見え隠れします。

少なくとも、勤労者の25%は間違いなくそう考えているわけです。
 

パンドラの壺、ギリシャが位置する「場所」とは

ギリシャ神話にある「パンドラの壺」。

おそらく、多くの方は「パンドラ」と言う美しい女神が、壺を持って地上に降り立ち、うっかり蓋を開けてしまったことで、地上で災いや病気、嫉妬、戦争などが吹き出してしまった…ということをご存知でしょう。

もちろん、最後に壺の底に「希望」が小さな声を出して、地上の救いとなるのは、いささか取って付けたような話でもあります。

実は、このパンドラは全能の神「ゼウス」が2人の兄弟である「プロメテウス」と「エピメテウス」の家に行くよう、命じられ、弟のエピメテウスと愛し合います。

プロメテウスは、現在英語で「プロローグ」、つまり 前書き を差し、エピメテウスは「エピローグ」、つまりは あとがき の意味に当たります。

ギリシャ神話では、プロメテウスは「先に考える人」であり、エピメテウスは「後で考える人」を比喩しているわけなのです。

ゼウスはプロメテウスの「思慮ぶかさ」には敵わないことを知っており、エピメテウスにパンドラをして籠絡させてしまいます。

その結果、パンドラは壺の蓋を開け、人間界に様々な災いをもたらすきっかけを作ってしまうのです。

実は、ギリシャという国のある場所そのものが、パンドラの壺そのもの、とも言えるのは地図を見ると理解できるでしょう。

ギリシャは南に地中海、西にトルコ、東にはイタリア半島を見ることができます。

北側はアルバニア、マケドニア、ブルガリア、マケドニアの北にはコソボ、セルビアといった紛争を抱えた国が数多く連なっています。

西のトルコは、海峡都市のイスタンブールが目の前にあり、エーゲ海から黒海へと続く要所になっています。

黒海と言えば、その最北にはウクライナがあり、ロシアが「占拠」したセバストポリを中心とする半島が突き出しています。

つまり、ロシアがどうしても手に入れたい「冬も凍らない港」は、トルコとギリシャを横切らなければならないことになり、西ヨーロッパ諸国にすれば、ギリシャが国として成り立たなければ、中世のオスマントルコの時代の「イスラム化」が欧州の一角にできることになりかねません。

そして、南側に目を移せば、問題はもっと深刻です。

地中海は南ヨーロッパの物だけではなく、リビア・エジプト・チュニジア・イスラエル・レバノン・シリアにまでまたがる戦乱の海そのものです。

シリアは今まさに「イスラム原理主義」の人たちによって拐かされており、アメリカ、ロシア、欧州が入れ替わり立ち替わり宣戦布告していますが、その行く手は泥沼の状況です。

その結果、数百万人の難民がギリシャにも居座り、西欧諸国は手の打ち用が無くなっているのが実情なのです。

パンドラの壺、それはまさにギリシャそのものを指すといっても、過言ではありません。

ギリシャの立ち位置を甘く見ていた責任こそ、実は西欧にある

ギリシャは非常に古い国家であり、そしてほんの200年ほどの新しい国でもあります。 ですが、それは歴史的に見ればギリシャ人が起こした「技術」「神話」「文学」「芸術」が優れていたことに他なりません。 ただ、ギリシャはあまりにも「豊かな風土」であったことが、不幸の最大の理由とも言えましょう。 海の幸、貿易の利、そして学問など、優れた人たちであったため、彼らは「実りの地」を持たない諸国に占領されていきます。 それでも、彼らはローマ人として生き、ギリシャ人として目覚めるのは第二次世界大戦後です。 戦後のギリシャは、アメリカからの援助で政権が敷かれ、経済的にはユーロ導入の最初のメンバーに落ち着きます。 ただ、2001年にユーロ導入が決まった当初、ギリシャの経済は「ユーロ導入審査」では合格ラインに届いていましたが、その後この審査の根拠となる「財政基盤、国家財政における負債の額や割合」が見栄え良いように「粉飾」されていたことが判明しました。 ギリシャは本当は「ユーロ圏」に入るべきではなく「ドラクマ」のままでよかった…そう考えていたのは、2015年のドイツの首相、アンゲラ・メルケルだけではなかったでしょう。 歴史と地政学上、ギリシャが生きて行くためには、こうするしかなかったのかもしれないのが、本当のところかもしれません。 ですが、ギリシャの財政規模は実はアメリカの「デトロイト市」ほどしかなく、国とすれば非常に小さなもの。 そこをドイツやフランスを中心とする欧州が、「気分に押されて」安易にユーロ圏を広くしてしまったツケが、今やってきているのです。

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