交通事故で脳障害になった私が社会にカムバックできた訳

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考えもしない出来事。それは防ぎようがない一瞬

今まで、私は自分のことを文章にしたことは一度もありません。

ですが、50に近い年齢になり、子供を抱える父親として今の世の中を、生きていることを淡々と記してみたい、と思った理由は「自分は不幸だ」「社会は不公平だ」と感じている人があまりにも多い、と感じたからです。

私は、2度の転職を経てある会社の営業職として採用されました。

それまで、比較的大きな会社で働いてきており、実績もそれなりにありましたが、転勤の話があり、今の場所が気に入っていたため、転職しようと決意したのです。

転職先は、全国的にも大きな会社ではありましたが、転勤がなく、自分の裁量で収入も増やせる可能性が高かったことから、大変やりがいを感じていました。

営業にはいろいろな資格が必要なため、数ヶ月間は資格勉強に取り組み、3ヶ月後と半年後に2回の試験をパスして、いよいよ顧客周りを始めました。

当初、私は前職との仕事の内容の違いに、かなり戸惑いましたし、もともと自分の地縁の場所ではなかったことから、ハンデもなかった訳ではありません。

ですが、3年後あたりから成績が良くなり、ボーナスも増加して生活も楽になり、子供も生まれるという幸運を手にしました。

そんな中、6年目を迎えたころ、今までの人生を一変させる出来事に出会うことになります。

私は街を歩いて、客先訪問をしていた際、突然歩道に自動車が突っ込んできたのです。

その時、私の周りには数人の歩行者がいましたが、皆間一髪のところで、衝突を免れましたが、私は横を向いていたこともあり、跳ね飛ばされてしまいました。

そのあとの記憶は数年間分がまだら模様になっています。

奇行を繰り返す毎日。病院で「障害」が判明

事故当時の私はかすり傷程度で、見た目にはなんの変化もなかった、と言います。

救急車で運ばれた外科病院では、手足にも特に折れたところは見当たらず、そのまま入院して、即退院。

ですが、その後警察に行き、直後に吐き気が止まらない状態が続き、2週間ばかり脳外科病院に入院となりました。

交通事故の衝撃は、事故後数日経って起こることもあるため、加害者の加入していた損保会社が、病院の費用をすべて支払ってくれました。

問題は、その後でした。

CTスキャンやMRIといった、脳の中を調べる機器で、様々な画像診断を行ってくれた医師は、特に異常は見られない、というのです。

そのため、入院期間が過ぎ、再び会社に復帰することができるようになりました。

ですが、退院した後の私は、家族から「おかしい」と指摘されるようになります。

朝、投函を頼まれた手紙を、玄関に忘れたままにして数日も出勤…

会社での会議で、発言を求められて、話が理解できず黙ったまま…

顧客に電話を掛けようとして、番号が出てこない…

自分のパソコンのパスワードがわからず、毎日人事課に問い合わせる…

兎にも角にも、仕事の準備そのものが数時間もかかって、全く営業に出かけることさえ、できなくなっていました。

会社では、全くの木偶の坊扱いとなり、休職命令となり、再び脳外科に診てもらう羽目に。

そこで、初めて「脳障害」があることがわかったのです。

高次脳機能障害、それは見た目では判断できない重症な障害だった

私の家内は、脳外科医に現状を伝え、本当に脳内に異常がないかどうかを調べて欲しい、と訴えます。

外科では、様々な医師がおり、私の症状を照らし合わせて、ある神経内科医が担当することになりました。

この医師は、主に「アルツハイマー症例」に詳しく、患者はほとんどが高齢者でしたが、辛抱強く待合室で診察の順番を待ちました。

医師は、私の症例を家内から聞き、そしてRIという検査を行いました。

これは血流が脳内で途切れていないかどうかを診るもので、もし血流がストップしているところがあれば、その部分は脳神経細胞が破壊され、穴が空いている状態となっているのです。

脳神経細胞は、脳内に15億個から1,500億個もある、とされており、この細胞がつながることで、神経が電気を走らせます。

認知機能や感情機能など、様々な人間特有の機能は、神経が正常につながっているからこそ働くわけで、それが一点でも途切れれば、人間としての脳の役割がうまく果たせなくなってしまいます。

これはMRIでもCTでも見極めることができないのですが、唯一RIで判定できます。

そして、その後臨床心理士のテストを受け、私には様々な障害があることが判明します。

記憶、遂行機能、注意…様々な障害のため、通常の人の60%から70%の判断力や理解力がない、そういった結果が出たのです。

私は、その頃、自分に体力がなくなっていることがわかっていました。

寝ていることが多くなり、家族は毎日苛立っていた、といいます。

そして、私は休職期間を終了し、解雇処分となります。

障害者手帳を受け取り、家族の苦労の末、労災年金の手続きを受けるのです。

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