お金持ちのお金の使い方「全ては誰かのために」

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お金をかっこよく使うために高収入が必要不可欠なんです。

この話は今の自分にも多大な影響を与えています。
欲のための働くということは原動力になっていい。

○○だから必要だと言うのは真理ですし。
しかし行き詰るのです。欲の中ではなくても良いと言う制限をつけられるからです。

そんな中で相手と言う台詞が出てきた場合手が抜けなくなりました。

裏切りたくないからです。人はもしかしたらそういう生き物なのかもしれませんね。

私たちの中でお金をいっぱい稼ぎたいと思う人はどれくらいいるだろう?

お金お金といい続けている人は周りにいる人から引かれてしまいます。
理由はあの人はお金にしか興味が無い、薄情だ、所詮金だけの付き合いだと思われがちだからです。

でもそう文句をいう人であっても目の前に高額のお金を見せられたりすれば正直に欲しいというでしょう。

お金の悪口は言ってはいけないですが、世の中お金だけではないと素直にお金のありがたみやすばらしさを認めるべきなのです。

間違っても世の中金じゃないとは言わないように。なぜなら、世の中と金を並列にして得意がってはいけないのだから。
そもそも比較する次元ではない。

あくまでもお金は道具です。画家が使う絵の具と同じです。医師がつかう医療器具と同じです。

ただ、専門的に使う道具以上に形を変えてくれる、自分にとって今現時点で必要なものに代わってくれるとても便利なツールなのです。

絵の具は絵の具のままそれをスーパーに持っていっても野菜と交換してはくれません。

映画館の受付に先生の白衣をもっていって入れますか?といってもコスプレですかとからかわれるだけです。
(まだ使えそうなものであればいったんお金に両替するということを行えば可能ですが)

お金でしたら可能ですよね?
そしてそれら道具と世の中を比較できるでしょうか?世の中絵の具じゃないとか世の中メス、点滴ではない?

声に上げればおかしいですよね?
では何故「世の中お金ではない」そういう言い方にしてまでもお金という概念をある一部では否定しさげすむのか?

またなぜそういう風にマイナスに位置づけさせながら一方で自分もこっそりたっぷり貯めたいと思うのでしょうか?

それはやはり便利なツールだからでしかないと思います。

さまざまなツールがあれば不足な事態に臨機応変に対応できると思うからです。お金はその臨機応変を可能にしてくれるからです。

よくパニック映画のワンシーンで分厚い財布をみせて頼むから車を譲ってくれとかその銃を売ってくれといって自分の置かれた最悪の状態をお金によっ

て変えようしている場面が出てきます。それがお金の性質を全て物語っています。

そしてそのシーンによって人はお金持ちに汚らしさといやらしさを感じ時には嫌悪感を抱くのでしょう。

それが、そういう風に使う人自身のモラル・考え方・生き方であるということを認めないでです。

もし自分がお金をいっぱい稼いで持っている人になったとしたら、そうした映画の人物に見られはしまいかと卑下して隠そうとするのです。

結局は人が生きていくためのツールを手に入れているに過ぎないのにです。

人はもっともっと、を追求する生き物です。

スタートレックというアメリカのドラマをご存知でしょうか?

地球上に存在する現象等を探索解明し尽くした人類が、今度は果てしない銀河にその探求の舞台を移したという設定で描かれたドラマです。

そのオープニングを読んでみますと…

『宇宙…そこは最後のフロンティア。これは宇宙戦艦エンタープライズ号が、新世代のクルーのもとに24世紀において任務を続行し、未知の世界を探索して、新しい生命と文明を求め、人類未踏の宇宙に勇敢に航海した物語である…』

未知、新しい、という言葉が光ります。そしてそれは地球には無い、宇宙にいけば出会えるという期待をもたせています。

もし私たち人類がこうした進歩向上の精神を欠いて現状に留まっていたとしたならばおそらく生命の伝達のみでしか生きながらえない、進化しない他の生き物同様になっていたでしょう。

それがいけないのではなく、それを捨てて進化の道に進んだという宿命をもたされたと理解したいのです。

歩いて進んで立ち止まってを繰り返す人間は新しいもの未知なる物を解明する喜びを持ってしまったのです。

それが追求の精神を形成したのですから自然、もっともっとと好奇心が満足するまで続くわけです。そして好奇心は生ている限り満足することは無い。

好奇心の対象はさまざまです。人それぞれの関心事がその人口の数だけあります。

学者ならばスタートレックのような世界の追求。医師ならば健康の持続をテーマにした追求。

しかし一般の人はそうした学術的な追及ばかりでなく、自分の関心事に対する追及に留まるわけです。

特に今世紀は生きていくこと、生き方そのものを見つめる関心事が強い傾向があるようです。

自分自身の関心から周りを輝かせる関心へ変身

自由ゆえに関心事を規制したり制限することは出来ません。

しかし、その関心事を平たい言い方にすればこだわりを自分に対するものから相手を敬う形で表現しなおせたならばもっともっと活きた探求になると思いませんか?

金を稼ぐという行為は生きていく為のツールを手に入れるということだと最初に言いました。

追求ゆえに活動するための資金が必要なのです。
こだわりを自分にしか向けていない人は稼ぐ行為も自分を満足させるためだけに限らせます。

屁理屈で募金をしているしといってもそれは世間的にみて前述の分厚い財布をもった映画の人物としていることは変わりません。

自分にばかり使っているのではないことをアピールしカモフラージュさせているということです。あるいは援助している自分に酔っているのかもしれません。

今の仕事や生活を投げ捨ててまで困っている人に尽くそうということはしないのではないでしょうか?

しかし勘違いはしないでください。それ自体が良し悪しというのではありません。

ツールを手に入れる事自体が相手を敬い相手を輝かせていればよいと思うのです。
学者ならば後の世のために追及。医師ならば苦しんでいる人を助けるために追求。

同じように小さなことかもしれないが普通の人々も○○のために追求という丸の部分を自分ではない相手にとったものにしようと思うのです。

プロ野球選手やサッカー選手はなぜあんなに契約金が高いの?

一見すると先ほどの自分の追及に見えがちですが、彼らは列記としたプロ意識で追求しています。

それはインタビューでよく聞く、応援してくれる人のために、ファンのためにと言う台詞に集約されています。

自分が活躍すればそれを見てくれる人が喜んでくれる、自分が成功し続ければそれを目指す若い人々がまた追従してくれる。

その道を作っていきたいがための追求なのです。

ゆえに年俸が何億と言っても決してもらいすぎではないのです。彼等がプロとして活躍し続けるための維持費なのです。

特別贅沢な食べ物をたべるとか誰も手に入れられないような装飾品を身にまとって家来をつけるなど王様になっている人はいません。

世界中の人々が見ている以上、その人々が応援するに値する位置に居続けるが為の費用だとすれば妥当かと思います。

そのお金を使ってまた誰もがなしえないであろうプレイを歴史に刻むのですから。

その他お金を稼いでいる人の多くがあるいはお金を稼ぐことで成功している人の多くが妥当な金額であると言えるでしょう。

医者が何故高級な外車に乗るのか?それはより安全なシステムの中に居ることで自分を守ることにつながる、イコール彼らの知識と技術で昨日までと同

じように困っている患者の命を助けられる。
それをみないでただお金を儲けているとは間違ってもいえないでしょう。

大きな会社の社長であっても同じです。社員の安全と安定を考えるならば自分の資産を最終的になげうってでさえ彼らを救わねばならぬからお金を持っているだけです。

関心事が自分しかない社長は当然社会からそのようにしか見られず扱いもそうならざるを得ません。

生き方を追求だからお金が必要なの

経済をまわすためにお金を使うことはすばらしいことです。それに従事する人々の生活も回るのですから。

経済をまわすためにお金を稼ぐと言うことはそれ自体が結果としてなしえているのですから追求と言うことにはならないでしょう。

それは浪費する生活、過剰に満たされたい生活の追及のためを言い換えた詭弁でしかないといえそうです。

どこまでいっても個人のレベルでは自分だけが満足するこだわりと関心事に固執してしまいがちなのです。

でしたらいっそのこと生き方そのものをもっとかっこよく出来たのならば同じ稼ぐと言う台詞も違った輝きにかわるのではないだろうか?

「今手にあるこのお金を使って火をたいてやるから」とあの映画で言ったとしたら、観ている人の表情も嫌悪感から静かに流す涙をもった笑みを浮かべることでしょう。

「ずいぶん高い薪をくべたな」とウィットに飛んだ台詞を出したとたんほっと心が温かくなるのではないでしょうか?

自分だけが得をする稼ぎ方や使い方をやめたとたん、かっこいい使い方がうまれてくるのでしょうね。

まとめ

とある活動家がアジアの貧困層の現地に入り人々を幸せの渦に巻き込んでいっていると言います。
私は人間台風と思っていますが、決してその地域を荒らすのではありません。

またお金をばら撒いているのでもありません。

彼自身に出来ることで現地の人々を喜ばせているそうです。
彼は最初給料は30万もあればいいと勝手に上限をつけていたそうです。

それが自分自身のエゴだと気づくまで、お金をたくさん稼いだり持っていることに罪悪感を持っていた。
その村では井戸を掘れば住民が生きていける。そういったことがわかると値段を聞いてびっくりしたそうです。日本円で2万円。

30万の生活でここまで会いに来れたが、来れたことだけに満足しているの?っていわれても仕方が無い。なぜなら30万で満足しているのだから。

でも彼らを喜ばせられない。30万以上は罪なんだから。

そう自問自答する中で、なんて自分は自分勝手な考えを推し進めていたのだろうかと反省し、
考え方を変えようと思ったそうです。

32万あればその二万で井戸がほれるじゃないか。50万だったら?100万だったら?

いや、そもそももっと稼げればもっと助けることが出来るじゃないかと…
さらには稼ぐことで他の使い道が探れるといっていました。

同じお金なのにどうでしょう、その先に見える輝きがこうも違ってくるのです。

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