価値観の変化がお金の使い方を変える?お金とは所詮自分が目指したい理想の手段でしかない

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もしお金を使わないでいられる世界があるとしたならばそこが最高の場所になる

お金はイコール財産です。

財産とはその人が大事に思い価値として所有しているものです。

ある人にとっては価値のないものでもその人にとっては命の次に大切にしているもの。

この所有という発想は古来からのもので人間の唯一の特徴だとも言われています。

貯蓄や備蓄という生活の維持概念からくるものは生物の根本的な知恵です。

困らないために行うそれらの行動は不安を一つ一つ拭い去る手段です。

この不安解消はあれば落ち着くに意図が変化してきたのでしょう。

自分の身を守るから自分を偶像化させるような、象徴的な発想へと変化したといえます。

これが発展した為に、物も地位も名誉も取って変えられる手段として存在するお金が、所有の対象になったと考えるにはたやすいものです。

財産がなければ

お金の使い道を考える場合どうしても生活レベルを中心にすることがあります。

その人々の生活クラスといえる基準によってお金は使われていくのです。

財産はその生活基準そのものです。

ですからお金をかけないという生活スタイルを持っている人には財産自体はあまりないでしょう。

ないのがいけないわけでも、みっともないことでもありません。

財産という考え方は人間の歴史から全く変わらない発想だということを認識したいのです。

あまり持たない生活水準の人であっても意味や意義はわかっています。

しかし、そういう人は体が資本で財産だということもいいます。

一生働けるような健康な体こそが財産でそれがあれば、いつでもお金は作れるという考え方です。

財産がなければ生きている価値もないとさえいえるかもしれません。

もし価値観が変わったら?

お金の使い道自体はあまり変化がないことは先ほど伝えました。

財産という概念ゆえです。

その価値観がもしかわったらどうなるでしょう?

よく映画や小説であげられる“桃源郷”そこには一切の金銭のやり取りはありません。

財産の概念がなくなってしまっているといいます。

何かを所有して自分のものにする必要がない世界ということですが中々イメージが湧かないものです。

欲しいものが直ぐに手に入る、知らないものが直ぐに知識として身につけられるチャンスがある。

あるいは争い競い合うことよりも互いに褒めた立てあう時点で終るということもあります。

そんな世界はありえないというかもしれませんが、少なからず未来の世界観を考えた場合どの知識人も執筆者も行き着くところは同じです。

共有、シェアしあうという発想なのです。

食べ物が欲しいという時、持っている人がいて、調理提供してくれる人がいて手に入ります。

そこにはその携わる人の利害がある為に弱肉強食の根本的な競争が発生してしまいます。

しかし、世界共通の食べ物製造マシーンが作られ、音声やスイッチ一つで目の前に出されたらどうでしょう?

ある人はハンバーグ、ある人はパスタ、ある人は刺身定食に焼肉。

しかも調理方法はその人々に適した状態にまで再現されるようなシステム。

こうしたものがあった時競争する必要性が意味をなさなくなります。

あるいはスポーツやゲームといったもの。

それら全て対戦者が機械で操作してくれて、生きている人間さながらに動いてくれたなら個人レベルでは満足なのではないでしょうか?

仮にオリンピック等を作ったとしても記録は個人のものであるから、その種目の好きな人同士だけが個人の記録を見せ合うことで終わりはしないでy層化?

しかも好きな時に参加できて、好きな時間まで行える、相手をしてくれるということを考えればかなり効率的な方法です。

勉強にしてもそうです。より深い知識をと思ってもわからないことは携帯電話を使いインターネット検索をしてしまえば答えは何十秒か後には出てくるものです。

わからないということは既にないという世界が未来なのです。

今の世界は、何かをすることは自分に跳ね返ってくるという価値観を超越した次元に向けて今まさに進んでいるとさえいえます。

今の日本の価値観

人々が暮らす上で、特に日本においては人と比較しあいながら自分を向上させるという考え方に基づいて生活することが指針のようです。

街頭インタビューなどをみると、一見すればその人の意見のように聞こえても「皆から支持を得ている」「みんなに認められている」といった声がでてきます。

映画等の宣伝も“全世界中で何万人もの人が泣いた”“全米全ての人が感動した”というフレーズを使うものです。

つまり群集心理をたくみにもちいて、その流れに乗っかっていないと乗り遅れるばかりでなく、向上しないような錯覚を抱かせるのです。

比較することで、自分の居る位置が周りと比べた時に落ちているのか同等なのか先を進んでいるのかを知ることになるのです。

そして、一旦自分が同等かそれ以上になった時点で、自分の意見から、周りに溶け込ませた意見としていく風潮がでてきます。

先日とある歌舞伎のお披露目式で会場から出てきた観客の人に尋ねた場面が放映されていました。

「いかがでしたか、歌舞伎の○○ちゃんは?ご覧になってどうでしたか?」
という問いかけに

「みんなも、かわいいといっていました」

「あちらこちらから歓声がきこえて、本当に愛らしいとか、かわいいとかいってましたよ」

という答えが殆どでした。

自分もそう思うけれど、みんなも同じ意見なのだということを伝えています。

あるいは皆が考える意見に私も賛成でそう思うのだということにもなります。

比較した上でしたには居たくないがあまりとっぴに上にでしゃばるようなこともしないというスタンスが日本では強そうです。

周りの考え方に同調させた価値観というものが強いのです。

今後の日本の価値観

少なからずお金の使い方としては価値観が変わらない限り何も変化はしません。

他人の目を気にしながら意見を同じにする方法は争いごとを嫌う民族ゆえの特徴です。

強い弱いという縦の社会から強いものにまかれる社会作りに歴史を刻んできたのが日本です。

その考え方をもって財産という観念から別の価値を見出せればお金に左右されない、ひいてはお金に支配されない国が出来るようなきがします。

欲しいもの、手に入れたいものということからの呪縛はそういうものに対して一切意味を成さないという生き方のスタイル見本が確立された時に力を発揮するものです。

経済活動という基盤から神秘、探索といういう追求点を変えるような考え方がうまれてくれば大きく変わるかもしれません。

テレビドラマで『スタートレック』がありました。

これは宇宙を舞台にした人間ドラマですが、そこには一切の経済活動はありません。

財産というものが個々においては意味をなさないという点も描かれています。

何よりもそうした競争に通ずる価値観がないにも関わらず人間の向上心や尊厳をダイナミックに描いているドラマとしてファンも多いのです。

何故うまくいっているのかといえばオープニングの台詞がその答えのような気がします。

“宇宙..そこは最後のフロンティア。
これは宇宙戦艦エンタープライズ号が、
新世代のクルーのもとに24世紀において任務を続行し、
未知の世界を探索して、
新しい生命と文明を求め、
人類未踏の宇宙に勇敢に航海した物語である…”

つまり、地球には知らないという世界は既になくなってしまっていてそこで活動する重要性が見出せなくなった。

地球では生きていくことそのものがテーマであり存在意義であった、ネクストジェネレーションは技術の革新と進歩のおかげで生きていく心配を超越したテーマを見出せた。

そこの舞台が未知なる宇宙、無限の可能性を秘めた宇宙に乗り出すことで価値観を見出そうということです。

これは理想等ではなく、つまるところ、生活レベルというミニマムな次元でしか生きてこなかった歴史、

それを早く取っ払いたいという誰もが望む世界観なのです。

お金とは所詮自分が目指したい理想の手段でしかない

今も昔も変わらない手段です。 それを持っていることでかなうと思うのは間違いなのです。 使って初めて理想に近づくものです。 使わないで貯蓄するというのはお金を貯めるという行為が理想なだけでなにも向上しません。 そしてやがて来る特別な手段がもたらされた時には価値観の是非だけが求められる結果になるでしょう。 使うことの意義からその人が目指している未来像だけが残るということです。

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