会社員として生活し、それに慣れてしまうとそれが快適でそこから抜け出したくないという感情が沸いて出てきます。
だからこそ、気づけないこともあるしものごとの深層真理を知らずに損をしているのだなと思う、今日このごろです。
というのも最近、いろいろなサラリーマン・会社員との交流で鮮明に見えた「異常事態」があったのです。
それは誰もがやらないといけない、しかしそれを避けて通っているのことです。
だから、ほとんどの人は大金を稼げないまま、不満ばかりを口にしているんです。
結論から先に言ってしまいますが、今回の記事で私がお伝えしたいことは、この一言に尽きます。
「決断しないから、何も変わらないのだ」。
言葉にして見聞きすると、「なんだ、そんなことか」と思うかもしれませんが、毎日が豊かでないとか、お金がないとか、楽しくないとか、そんなことを感じている人のほぼ全ては、「決断しない」からそうなっているのです。
つい最近、知り合いの相談に乗ったのですが、その人は「こういうふうになりたいんだよね」ということを、口酸っぱくなるくらい言っているにも関わらず、「それやろうよ!」とこちらがいうと、「確かに!でも・・・。」というフレーズを口にしてやろうとしない、決めないのです。
私からしてみれば、彼らがそういった不満とか葛藤を抜け出し幸せを感じる為に必要な事は、「決断」だけなのです。
たとえば、私が数年前に相談に乗ったある方は、自由の無い会社員という立場に絶望し、半ばうつ状態で私の所に相談に来てくれました。
主に独立後にやりたいことをやるための相談に時間を割いたように記憶しているのですが、彼が本質的に変化を遂げる事が出来た理由は、ただ、一人で仕事をやってみる、という「決断」でありました。
進化というものは、本当にこれほどまでにシンプルであり、このシンプルな選択こそが、人生を異常なまでに変化させることを示した例だと思います。
私の人生を振り返ってみても、何度か資金ショートであったり、事業崩壊の危機に見舞われた事はあります。
一般的な思考回路ならばそこで、時間給の仕事を見つけて食いつなぐのかもしれません。
しかし私は「絶対に絶対に時給労働はしない」と決断しておりましたので、自力でなんとか乗り越える事が出来てきました。
そのお陰で、窮地に対する耐性も得ましたし、お金がないとか圧倒的に不足しているぐらいの問題ならなんとかなるという確信を得る事も出来ました。
人は、目前に恐怖や危機が迫っているときは、判断力を欠如します。
きちんと脳みそを使って考えれば、『メリット>リスク』である事が分かりきっている局面であっても、いざ、リスクが目の前に迫ってくると、メリットなどそっちのけで、「リスクは嫌だ!怖い!」と赤子の様なマインドとかメンタルに成り下がります。
でもこれが、いわゆる「一般サラリーマン」が下す決断であるという事です。
この思考回路が、サラリーマンから富を遠ざけることにつながっています。
さらに言いますと、これが『社畜脳』の真の姿ということなのです。
まさに、灯台下暗し状態とも呼ぶのでしょうか。
次なるリスクに恐れる気持ちは、私を含め、誰しもが持ち備えているでしょう。
私は経営者とか起業家と言われる人たちにお会いしたことがあるのですが、彼らが決断を下すときの場面というのは、緊張感に包まれたり見えない何かと戦っているかのような空気を感じたのです。
しかし、彼らは最終的に、冷静になるのです。
そして、気づくのです。
決断した先のリスクは怖い。
けれども、決断しない今あるリスクは嫌だ、もっと怖い、と。
どれほど優秀な経営者であれども、決断した先が正解なのか、不正解なのか、知ることは出来ません。
しかし、「今が間違っていること」は確実に分かります。
今が間違っていると感じるのであれば、それはリスクという可愛いものではなく、実害を被っている状態である事の証明です。
つまり、もう既に、アウトであるという事です。
しかし、私が社畜脳と呼んでいる多数派の人たちは、決断を目前に迫ると、今がアウトである状態の事など忘れてただ呆然とその場に立ち尽くし、「決断した先にあるリスク」だけに目が眩み、決断を放棄します。
そうして、決断の放棄が人生の習慣になっているものですから、自分自身を正当化する術はまさに、匠のなせる技です。
「決断は今じゃない・・・」
私は本当に、心の底から、気づいて欲しいと願っております。
「決断は今じゃない」という決断こそ、多数派の下す決断なのだと。
「リスクが高い」と決断した今の人生こそ、リスクを超越した絶望的な実害を被っている人生であるという事を。
なぜ、リスクばかりに目を向けるのでしょうか。
それはただ、知性はそこに無く、恐怖という感情に怯えているだけではありませんか。
決断の判断基準を、「確実性」で捉えてしまっては、変化を遂げる事は永久に出来ません。
なぜなら、決断の判断基準は、「相対的」なものだからです。
我々が「確実」に判断できることは、今の人生は嫌か、間違っているか、変わりたいか、ただ、それだけです。
たとえば、本当にお金持ちになりたければ、そのために行動する、といういうことを決めて動けばいいのです。
今を変えたいのであれば相対的に、決断して先に進む事が、理想を手に入れる唯一の手段であるという事です。
そもそも、リスクを判断基準にすることすら、間違っているのです。
リスクは、可能性に過ぎません。
ましてや、見えてるリスクは、いくらでも対処出来ます。
しかし、あなたの今の人生は、可能性ではなく、既に実害を被った手遅れな状態です。
ならば、冷静に考えて下さい。
実害 or リスクなのであれば、どちらの道に進むべきなのか、と。
金を稼いで自由になる!と希望だけを胸に秘めた会社員の方は多い様に思いますが、まず不可能でしょう。
もってのほかです。
「決断しない」という決断こそ、多数派の下す決断でありながら、多数派である会社員という存在は、社会構造上「富と自由を放棄」せざるを得ないので、富と自由という両面において夢と目的を持つ権理すら持っていない、という事です。
そこに、お金持ちになるための決断を下しながらも動かない、ということであれば間違いなくその権利を放棄することにつながります。
ただ、構造上お金持ちになれないということであっても、それをぶち破ることは十分にできるのです。
動けばその壁はいとも簡単に壊れます。
そもそも、今お金持ちとして活躍している人は、最初からお金持ちになっているわけではなく、最初は貧乏どん底の状態であった人も多いのです。
構造上、お金持ちになれない状態であってもそこをぶち破ってお金を手にしてきました。
富を手にしました。
こういう事実が、これまでに何千例とあるのです。
これは私の持論ではなく、事実として、そうであるという話です。
決断するつもりの無い人生を歩むのであれば、私は、それはそれで良いと思っております。
多数派の方々の意見を拝借すれば、「価値観は人それぞれ」ですから。
以前、私のメルマガでさらに強い口調で同じようなメールをお届けしたところ、かなり多くのクレーム?メールが届きました。
イヤミと捉えているような内容のものが多かったのですが、そういうことを言う人ほど口では変わると言っておきながら、目先のリスクに怯えて震え上がり、身動き取れずに立ちすくんでいる傾向になっているのです。
私はそんな人を罵倒したいのではなく、少々刺激的な文面を持ってしてでも、気づいて頂きたいだけなのです。
「決断」することが変わるきっかけであり、富を手にするきっかけにもなるということを。
会社を辞める必要はない。
別に、会社を辞めろと言ってるわけではありません。 ただ、今の自分を確実に変える決断を下して頂きたいだけであります。 ご自身なりの理由とか意義があって会社員をしているのなら、それは素晴らしいことですし誇るべきことです。 大事なことは自分で考えたことをやりきる、やり抜くということを決めることなのです。 当たり前と言えば当たり前なのですが、当たり前だからこそやらない人が多い。 だからこそやるだけで差別化できるし、結果だってついてまわります。 しっかり自分で考えたことをやる、という決断を下して実行するだけです。 会社員であろうともそれくらいならできるはず。 今すぐ出来て、人生が変わるであろう決断は、存在しませんか? そんな事は無いと思うのです。 実際に変わった人を目の当たりにしてきましたし、私自身もそれを体験してきているので。 ぜひ参考にしていただきたいと思いますし、そうなってくれるとすごく嬉しいです。
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