今回は、「お金の歴史」について、お話をさせていただきます。
何故、このようなテーマに行きついたかと申しますと、「お金の歴史=その時代、時代におけるお金の役割」について、さかのぼって考えてみれば、人々のお金に対する考え方が変わってくると感じたからです。
また、お金に対して、新たな一面に気が付くと思ったからです。
「お金」は我々の生活にとって、夢を与えてくれる存在であります。
プラスの面ばかりではありません。お金が欲しいために、パチンコやギャンブルに手を出して、身を滅ぼしている人もいます。
このお金に対する扱いや管理ができないために、社会的に信用されず、お金を借りられない状態、破産宣告など極めて厳しい状況に追い詰められている人もいます。
また、お金稼ぎの仕事とか言いながら、実は泥棒稼業に精を出している人もいます。
正直なところ現代社会を見てみると、お金の為に犯罪に手を染めたり、借金に苦しんだりとマイナスな現象を生み出すことも多いです。
お金の持ちようで人生は大きく変わってきます。
人々の頭の中にお金の事は、人生を操る大事な要素として存在していることでしょう。
「お金がなくたって・・・」なんておめでたい発想ができる人は、そう多くはないはずです。
では、お金って本来我々の生活や社会にとって、どんな役割を持って生まれてきたのでしょうか。
お金が存在しない頃の人々の生活、心のあり様はどうだったのでしょうか?
今回はそうしたことについて、考えさせたいただくことにしました。
どうか、最後までお付き合いくださいね。
どうぞ、よろしくお願い致します。
「お金」がない頃の人々ってどうやって暮らしていたのでしょう。
つまり生活に必要なものをどうやって、手に入れていたのでしょうか?
生きていくのに必要なものたくさんありますよね。
例えば、食べ物、衣類、家、道具・・・等、どんなふうにして手に入れていたのでしょう。
食べ物は、狩りや漁をして手に入れていましたね。
また、米や野菜などを作って、食べていました。
着る者は、狩りで得た獣の毛皮、植物を編んだもの、また家は、木々を切って組み立てたりと、昔は何でも自分たちで手作りをするしかなかったわけです。
何でも、自力で得ていた時代、すなわち自給自足の時代です。
その時代にお金が必要なわけはありませんね。
こうした時代にタイムスリップして、お金をばらまいても、人々は、知らんふりをするだけでしょうね。
じゃ、どうしてお金が必要になってきたのでしょうか?
大昔の人々は自分が欲しいものがあったら、物々交換をして手に入れていました。
この方法だったら、必ずしも、自分の希望通りの品物が手に入るわけではありませんね。
そこで、物と物を直接交換する手段ではなく、持ち運びに便利で誰もが欲しがる、誰が見てもその価値がわかるものとして、布、砂金、穀物などが、交換の手段として用いられるようになりました。
また、中国では、貝殻が用いられていた時代もあったそうです。
ですから、お金に関する漢字に「貝」の字が多いのは、そうした経緯があるからです。
やがてそうした物に代わって、金属(金、銀、銅)が使われるようになりました。
その後、貨幣が用いられるようになったわけです。
日本最古の貨幣は、「和同開珎」です。皆さんもご存知ですよね。
中学や高校の時に習いましたね。
確かに物々交換では、自分の希望通りの物は容易には手に入りにくかったでしょうね。
また、貨幣ができたので、手軽で持ち運びしやすく、経済生活は豊かでたくさんの物を手に入れることができるようになりました。
貨幣=お金は、人々の流通を円滑にかつ活発にさせたというわけです。
何より、生活に必要な物を手に入れるための、人々に共通の価値を与えた大事なツールだと言えます。
さあ、貨幣ができ、人々は生活の為、または生活を豊かにするために、お金を稼ぐこと=仕事に励みました。
お金があることで、人々の欲が起こり、より豊かで便利な生活を送りたいという向上心が芽生えます。
物資の流通が盛んになり、山に住んでいても、海の産物が手に入れたり、その反対の現象も起きました。
食品も衣類も何でも手作りだったのに、食品を作る専門家、衣類を扱う専門家、家を建てる専門家…あらゆる職業が細分化、専門化され、より豊かで便利な社会へとどんどん進んでいきます。
こうした現象は、貨幣経済がもたらしたものです。人々のもっと豊かになりたいという欲望がもたらしたものです。
半面、ばくちなどあまりよろしくない現象も出てきました。
つまり、お金は、人々の生活をプラスに展開して促進させていく特質を持っている半面、楽をして金を手に入れようとするマイナスな現象も生み出しました。
お金がない時代は、人々は働いた証として、農作物を収穫したり、魚を釣ったり、現物を手に入れていました。
人々は、自分の得意な仕事、好きな仕事を選んで“生きがい”や、“給金”を手に入れるようになりました。
お金は、働いた証だから貴いものだという感覚も生まれてきます。
今や、お財布携帯や、電子マネーの機能が付いたカード等、多くの人々が手軽に利用しています。
そうした電子マネーを利用することにより、お金は人々の経済生活を営むためのツールとしての存在から、ポイント制度等の導入により、収入を増やす為のアイテムのような存在になってきています。
継続してポイントを貯めて、海外旅行に行っている人もいるぐらいです。
ポイントによってさまざまな余剰利益を生み出し、自分の暮らしを豊かにしている人ってかなりいますよね。
「たかがポイントと、あなどるなかれ!」と言いたいです。
20年ぐらい前だったら、カードを持っていると言ったら、「使い過ぎに注意してね。」とか、「自己管理をちゃんとやってね。」という風に割と、クレディット・カードを使って買い物をする事に抵抗がある人が多かったと思われます。
しかし、インターネットの普及と共に、クレディット・カードなしでは、オンラインでのショッピングも容易くできません。
持ってないと大変不便です。
物々交換の時代からしたら、凄まじい変化ですが、なんと“代金を後払い”したり、“分割払い”にしたりとできるようになりました。
このシステムにより、人々はあらゆるものを自宅にいて注文し、海外の品物さえ、クリック一つで手元に届くようになってきています。
本当に素晴らしいシステムですよね。
こうしてお金に関する歴史を振り返ってみると、お金って、生きていく為に必要な物を手に入れる為のツールだったわけです。
それが、「お金の本来の役割」だと言えます。
ところが現在社会においては、「労働の証」、「幸せの基準」、一歩間違えると、「不幸になる元凶」となっています。
最後に
さて、「お金の歴史」について振り返ってみましたが、貨幣経済が存在しない時代の人たちって、物のありがたみについてすごく深かっただろうと思います。 また、自然の物から生きていく為の物を得るわけですから、自然に対しての畏敬の念も強かったことでしょう。 貨幣経済を初めとする様々な文化が発達するにつれて、人類は繁栄しましたが、地球はむしろ崩壊へと向かっています。 「お金の歴史」を振り返るついでに、人間にとって豊かな暮らしとは、本来どうあるべきなのか? そうした深いテーマについて考えてみるのも、たまにはいいのではないでしょうか。 最期まで読んでくださって、ありがとうございました。
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